27歳-23
ぼくは引っ越し、大した距離はないが、段々と地元の友人と疎遠になっていく。理由はそればかりでもない。結婚をした友人もいて、直ぐに急ハンドルを切るようにいままでの関係は変更しないが、置かれた状況によって考え方も生活の仕方も変わっていった。上流の川のどこかに石が置かれたことによって、下流にもいくぶん影響がでて、澱みができたり土手の一部は崩れる。
その後、ぼくはパソコンを一台買い、夜の時間を仲間と酒を飲むことを優先する代わりに、その機械の習熟に充てた。それで飯の種になったのだから、選択としては間違いではなかった。そもそも、そういうチマチマとした事務仕事をぼくらの地元はあまり買わない体質のところだった。後ろめたくもないが、大手を振って歩けるところでもない。
ぼくは仕事を変えた。よくよく考えれば威張ったことでもないが、新しい職場も、新しい仕事内容も、それに付随するもろもろの環境の変化も恐れていなかった。結果として希美に会った。その仕事の担当する相手の会社の一員として。ぼくらは学校で友人を作り、趣味で知り合う仲というのもあるだろうが、主に関係性が生まれるのは仕事で出会うというグループに自然とシフトしていった。
どこかに「繕う」ということがその立場によって生じた。誰も、怠け者でありたい、というスタンスは仕事の範囲にはもちこまないし、周囲から異なった自分の趣味の部分もあまり大っぴらに明らかにしない。学生時代にふざけあった仲はもう二度ともどってこないが、その貴重な時代をあまり大切にもせず、概ね「過去」というレッテルを貼り、こころのなかのガレージのような場所に無造作に放り込んでいた。
ぼくは希美のそうした時代の写真を見ていた。知人という数にきちんと制限があって、彼らの性格のすみずみまで把握していたとき。儀礼過ぎるあいさつもいらず、直ぐに本題に入れていた時期。彼女らの笑顔は誰かに見せようという気持ちがいささかも感じられなかった。人生で、そのことはほんの数年しかないような気もしていた。
「いまでも親しいの?」
「うん? あ、田舎に帰ればね。でも、この子、いちばん純情だったのに、もう、子どもがいたんだ」
「純情って、ひさしぶりにきいた」
「じゃあ、なんていうの?」
「さあ。反対は、すれっからし」
それから、ぼくらは若者に通じない言葉というのを交互に言い合った。希美は、最後に「こめつきばった」と言ってふたりで笑って終わりになった。
また写真に視線を戻すと、希美はひとりの友人を指さし、方言で彼女の特徴を言った。ぼくはニュアンスとして誉めたのか、けなしたのか、ぴったりとした表現なのか理解できなかった。ぼくも同じ言葉の機微が通じる文化圏に暮らしていたら、その音にすっかり馴染むのになとちょっと困ったような切ない気持ちになった。
「なにか、そういう言い方ってある? 独自の」
「ないよ。まったくもってつまらない言葉。ニュースと同じ」
共通のものとして認識し規定するのは、外縁を捨てることに似ていた。パンの耳のようなもの。もし、そこがなければ焼くという行程もなかったことになる。できあがりの白い部分だけを賞味する。こねたり、発酵させたりという大事な時間を忘れ、漂白されたものだけで理解する。ぼくは大人が職場だけで人柄や性格を認識されることを同じように感じはじめていた。ここに写っている希美も、きちんとした大人への過程があった。きちんと笑い、みなで叱られた。共同体という理不尽な方法で怒られても我慢する。悔しさを友人にぶつける。その大まかなあらすじに似たものを数十枚の写真が教えてくれた。
「好きになった子の写真ないの?」希美は自分のアルバムを閉じながら言った。
「希美のもないじゃん」
「別に保管している」そう言って笑った。「ねえ、ないの?」
「ないよ。全部、燃やしたから」
「なんで? 思い出すのも辛かった。それとも、厭な子だったの?」自分がそうされる運命にあることを未然に嘆くような顔だった。
「さあ。もってても仕様がないし」
「あっても困らないけど。ねえ、じゃあ、顔も思い出さない? 思い出したくない?」
「ここ数年は考えたこともない」
「じゃあ、いることはいるんだよね?」
「うん。あんなに純情な男の子だったのに」
ふたりで笑った。笑ってこの場をごまかせるという気持ちが働いていた。ぼくはなぜ燃やしてしまったのだろう。引っ越しで、自分の生活をそのまま引き継いだ荷物もたくさんある。場所を変えても咲く花々のように、移動をものともしない生命たち。だが、写真がないことぐらいは、ほんの小さなことだった。なにも失われていないし、奪われてもいない。ほんとうの意味では燃やされてもいないし、灰になってもいない。この場にないというだけで、ぼくのクローゼットの奥にしまわれていないということだけですべてが消えたわけではないのだ。だが、現物があればもっと簡単にあの当時にもどれる。いや、彼女の姿は変わらなくても、ぼくの外見は十一年分だけ余分に暮らしてきたのだ。何かを覚え、何かを捨ててきた。だが、今日のこの気分も悪くなかった。希美の顔からは想像し難い方言をきき、ぼくのこころは和んでいた。
ぼくは引っ越し、大した距離はないが、段々と地元の友人と疎遠になっていく。理由はそればかりでもない。結婚をした友人もいて、直ぐに急ハンドルを切るようにいままでの関係は変更しないが、置かれた状況によって考え方も生活の仕方も変わっていった。上流の川のどこかに石が置かれたことによって、下流にもいくぶん影響がでて、澱みができたり土手の一部は崩れる。
その後、ぼくはパソコンを一台買い、夜の時間を仲間と酒を飲むことを優先する代わりに、その機械の習熟に充てた。それで飯の種になったのだから、選択としては間違いではなかった。そもそも、そういうチマチマとした事務仕事をぼくらの地元はあまり買わない体質のところだった。後ろめたくもないが、大手を振って歩けるところでもない。
ぼくは仕事を変えた。よくよく考えれば威張ったことでもないが、新しい職場も、新しい仕事内容も、それに付随するもろもろの環境の変化も恐れていなかった。結果として希美に会った。その仕事の担当する相手の会社の一員として。ぼくらは学校で友人を作り、趣味で知り合う仲というのもあるだろうが、主に関係性が生まれるのは仕事で出会うというグループに自然とシフトしていった。
どこかに「繕う」ということがその立場によって生じた。誰も、怠け者でありたい、というスタンスは仕事の範囲にはもちこまないし、周囲から異なった自分の趣味の部分もあまり大っぴらに明らかにしない。学生時代にふざけあった仲はもう二度ともどってこないが、その貴重な時代をあまり大切にもせず、概ね「過去」というレッテルを貼り、こころのなかのガレージのような場所に無造作に放り込んでいた。
ぼくは希美のそうした時代の写真を見ていた。知人という数にきちんと制限があって、彼らの性格のすみずみまで把握していたとき。儀礼過ぎるあいさつもいらず、直ぐに本題に入れていた時期。彼女らの笑顔は誰かに見せようという気持ちがいささかも感じられなかった。人生で、そのことはほんの数年しかないような気もしていた。
「いまでも親しいの?」
「うん? あ、田舎に帰ればね。でも、この子、いちばん純情だったのに、もう、子どもがいたんだ」
「純情って、ひさしぶりにきいた」
「じゃあ、なんていうの?」
「さあ。反対は、すれっからし」
それから、ぼくらは若者に通じない言葉というのを交互に言い合った。希美は、最後に「こめつきばった」と言ってふたりで笑って終わりになった。
また写真に視線を戻すと、希美はひとりの友人を指さし、方言で彼女の特徴を言った。ぼくはニュアンスとして誉めたのか、けなしたのか、ぴったりとした表現なのか理解できなかった。ぼくも同じ言葉の機微が通じる文化圏に暮らしていたら、その音にすっかり馴染むのになとちょっと困ったような切ない気持ちになった。
「なにか、そういう言い方ってある? 独自の」
「ないよ。まったくもってつまらない言葉。ニュースと同じ」
共通のものとして認識し規定するのは、外縁を捨てることに似ていた。パンの耳のようなもの。もし、そこがなければ焼くという行程もなかったことになる。できあがりの白い部分だけを賞味する。こねたり、発酵させたりという大事な時間を忘れ、漂白されたものだけで理解する。ぼくは大人が職場だけで人柄や性格を認識されることを同じように感じはじめていた。ここに写っている希美も、きちんとした大人への過程があった。きちんと笑い、みなで叱られた。共同体という理不尽な方法で怒られても我慢する。悔しさを友人にぶつける。その大まかなあらすじに似たものを数十枚の写真が教えてくれた。
「好きになった子の写真ないの?」希美は自分のアルバムを閉じながら言った。
「希美のもないじゃん」
「別に保管している」そう言って笑った。「ねえ、ないの?」
「ないよ。全部、燃やしたから」
「なんで? 思い出すのも辛かった。それとも、厭な子だったの?」自分がそうされる運命にあることを未然に嘆くような顔だった。
「さあ。もってても仕様がないし」
「あっても困らないけど。ねえ、じゃあ、顔も思い出さない? 思い出したくない?」
「ここ数年は考えたこともない」
「じゃあ、いることはいるんだよね?」
「うん。あんなに純情な男の子だったのに」
ふたりで笑った。笑ってこの場をごまかせるという気持ちが働いていた。ぼくはなぜ燃やしてしまったのだろう。引っ越しで、自分の生活をそのまま引き継いだ荷物もたくさんある。場所を変えても咲く花々のように、移動をものともしない生命たち。だが、写真がないことぐらいは、ほんの小さなことだった。なにも失われていないし、奪われてもいない。ほんとうの意味では燃やされてもいないし、灰になってもいない。この場にないというだけで、ぼくのクローゼットの奥にしまわれていないということだけですべてが消えたわけではないのだ。だが、現物があればもっと簡単にあの当時にもどれる。いや、彼女の姿は変わらなくても、ぼくの外見は十一年分だけ余分に暮らしてきたのだ。何かを覚え、何かを捨ててきた。だが、今日のこの気分も悪くなかった。希美の顔からは想像し難い方言をきき、ぼくのこころは和んでいた。