38歳-21
絵美の以前の彼氏の姉が亡くなった。そのことを告げられ、彼女は悲しんでいる。「非常な落胆」という姿の見本のような落ち込みようだった。
ぼくはその関係性が単純に分からない。だから、友人の兄弟が亡くなってしまったことを想像する。まだ、ぼくの身近な周囲では誰もいないようだ。不幸な目にいずれも遭っていない。知る限り。
ぼくは嫉妬したいのかもしれない。過去の絵美を縛ることなどできないが、同時に、自由にしてあげることもできない。拘束も解放も、どちらの力もぼくは有していない。その彼は姉を使うことによっていまだに絵美に影響を与えることができるのだ。そのことに驚き、ぼくは戸惑っている。ぼくは反対の意味でそれほど彼女を嘆き悲しませることができるのか想像してみる。
絵美は男性の家に行き、そこで彼の姉とも親しくなる。女性同士だ、おしゃべりに興じあった仲なのだろう。彼女は落ち着きを取り戻すと、そのときの様子を話してくれた。一部始終という表現では大げさになるが、大体のあらましは分かりはじめた。その姉と弟は仲良しだった。彼は姉の評価や判断の価値に重きを置き、絵美は合格する。ふたりはそれぞれの好意のもとに、彼氏と、また同一である弟のためにいっしょに料理をする。料理というのはその場限りのことではなく、近くのマーケットに買い物に行き、後片付けをするということだった。ふたりは作業の間も親しく話す。我を通すというフィルターはまったくなく、共同作業という貴さを絵美は認識したそうだ。
ふたりは連絡を取り、待ち合わせをして会話に興じる。そもそものきっかけであった彼(または弟)の悪口を言うこともなく、逆にほめることもせず、度外視して関係性を構築する。そのままふたりで彼の家まで帰る。姉は気を利かせて家の前で別れることもあったそうだが、中に入りまた三人で話し込んだりもした。
「ね、素敵な関係でしょう?」と絵美は訊いた。ハンカチは濡れ、まぶたは心細さを痛いほどにあらわしている。「そういうひと、いた?」
「いないよね、普通。めぐりあわない」
ぼくは絵美の声を通じて、現実の出来事ではなく、おとぎばなしでも聞いているかの気持ちになる。誰かがうまくまとめた物語。三匹の兄弟たちの個性とか、豆が天まで伸びる話だとかの。
ぼくは立ち上がって普段はあまりしないことをする。お湯を沸かして紅茶を入れる。琥珀色と立ちのぼる匂いの五感のうちの二つが協力して、ぼくに安心感を与える。ぼくはそれを絵美の前に差し出す。彼女はここにくる途中で買ったチョコレートを頬張りはじめる。泣きながら甘いものを食べる。今回は、ぼくが原因で泣いたわけでもない。ぼくは謝りもしないでいいのだ。なぐさめる必要は生じたが、もうそれも段々と回復傾向にあった。
「だから、明日の約束、延期するよ」
「もちろん」彼女は黒い服を着るのだろう。「彼にも会うんだ」
「もちろん、会うでしょうね。とっても、落ち込んでいると思う、彼も」
同じ悲劇が結びつける関係ということもぼくの想像の余地に紛れ込んだ。ふたりは不幸に直面したからこそ、密接な関係が生まれたのだ。それも、どこかの古い物語のなかにでもありそうなフレーズだった。ぼくはただの部外者でいた。外野。野次馬。傍観者。該当する言葉はたくさん、それこそ無限にある。ぼくは不思議と希美の友人のことを思いだしていた。彼女たちが似通った風貌をもっていたからなのか、週末ごとに泊まり合って話した夜をもっていたと説明されたからなのか、亡くなった姉という外見を与えるために、最寄りの記憶をさぐったためなのか、理由はいろいろあるのだろう。あの望海と言った女性のその後の生活もぼくはまったく知らないのだ。彼女も希美がいなければぼくの生活のエリアに入ることもなかった。不思議なものだ。そして、会えないということは年を取らせることもできないのだ。ぼくは自分が得意としていたかもしれない嫉妬や憎しみや嫌悪でさえ勝手に奪われてしまう恐ろしさを感じていた。その負の感情を自由にできることがぼくという存在の証しだった。ぼくは意図せずに手放してしまう。また、さっきまで手放してしまいそうなことにも気づいていなかった。
「ごめんね、明日」
絵美はしつこく言った。彼女は自由にできない感情のなかに生きていて、自由にできない予定のなかをさすらい、そして、組み込まれていた。代わりにぼくの休日は自由だけになった。
翌日、ぼくはビルの上にいた。いつか、希美の友人と会った日にこの付近にいた。都心の風景はそうは変わってはいない。もっと遠くには目新しいものが作られて、なじみだったものが躊躇なく壊されているのだろう。なじみで、ぼくのそばにあったたくさんの物やひと。新しく受け入れたひとや物。どれもぼくを通過し、もっともふさわしい場所や相手にたどりつく。ぼくは昨日の紅茶のカップを思い出していた。絵美のきれいな指ににぎられた華奢な取っ手。中味は刻々と変わる。ぼくもあれと同じなのだ。コーヒーを入れ、紅茶を注ぐ。いまは絵美であり、二十数年前は別の大事な誰かだった。ぼくのカップはどれぐらいの耐久性を有しているのだろう。取っ手がグラグラになって緩んだり、縁が欠けてしまうということもあるのだろうか。だが、中味は熱い。熱々の彼女たちがいまでも沸騰しているようであった。
絵美の以前の彼氏の姉が亡くなった。そのことを告げられ、彼女は悲しんでいる。「非常な落胆」という姿の見本のような落ち込みようだった。
ぼくはその関係性が単純に分からない。だから、友人の兄弟が亡くなってしまったことを想像する。まだ、ぼくの身近な周囲では誰もいないようだ。不幸な目にいずれも遭っていない。知る限り。
ぼくは嫉妬したいのかもしれない。過去の絵美を縛ることなどできないが、同時に、自由にしてあげることもできない。拘束も解放も、どちらの力もぼくは有していない。その彼は姉を使うことによっていまだに絵美に影響を与えることができるのだ。そのことに驚き、ぼくは戸惑っている。ぼくは反対の意味でそれほど彼女を嘆き悲しませることができるのか想像してみる。
絵美は男性の家に行き、そこで彼の姉とも親しくなる。女性同士だ、おしゃべりに興じあった仲なのだろう。彼女は落ち着きを取り戻すと、そのときの様子を話してくれた。一部始終という表現では大げさになるが、大体のあらましは分かりはじめた。その姉と弟は仲良しだった。彼は姉の評価や判断の価値に重きを置き、絵美は合格する。ふたりはそれぞれの好意のもとに、彼氏と、また同一である弟のためにいっしょに料理をする。料理というのはその場限りのことではなく、近くのマーケットに買い物に行き、後片付けをするということだった。ふたりは作業の間も親しく話す。我を通すというフィルターはまったくなく、共同作業という貴さを絵美は認識したそうだ。
ふたりは連絡を取り、待ち合わせをして会話に興じる。そもそものきっかけであった彼(または弟)の悪口を言うこともなく、逆にほめることもせず、度外視して関係性を構築する。そのままふたりで彼の家まで帰る。姉は気を利かせて家の前で別れることもあったそうだが、中に入りまた三人で話し込んだりもした。
「ね、素敵な関係でしょう?」と絵美は訊いた。ハンカチは濡れ、まぶたは心細さを痛いほどにあらわしている。「そういうひと、いた?」
「いないよね、普通。めぐりあわない」
ぼくは絵美の声を通じて、現実の出来事ではなく、おとぎばなしでも聞いているかの気持ちになる。誰かがうまくまとめた物語。三匹の兄弟たちの個性とか、豆が天まで伸びる話だとかの。
ぼくは立ち上がって普段はあまりしないことをする。お湯を沸かして紅茶を入れる。琥珀色と立ちのぼる匂いの五感のうちの二つが協力して、ぼくに安心感を与える。ぼくはそれを絵美の前に差し出す。彼女はここにくる途中で買ったチョコレートを頬張りはじめる。泣きながら甘いものを食べる。今回は、ぼくが原因で泣いたわけでもない。ぼくは謝りもしないでいいのだ。なぐさめる必要は生じたが、もうそれも段々と回復傾向にあった。
「だから、明日の約束、延期するよ」
「もちろん」彼女は黒い服を着るのだろう。「彼にも会うんだ」
「もちろん、会うでしょうね。とっても、落ち込んでいると思う、彼も」
同じ悲劇が結びつける関係ということもぼくの想像の余地に紛れ込んだ。ふたりは不幸に直面したからこそ、密接な関係が生まれたのだ。それも、どこかの古い物語のなかにでもありそうなフレーズだった。ぼくはただの部外者でいた。外野。野次馬。傍観者。該当する言葉はたくさん、それこそ無限にある。ぼくは不思議と希美の友人のことを思いだしていた。彼女たちが似通った風貌をもっていたからなのか、週末ごとに泊まり合って話した夜をもっていたと説明されたからなのか、亡くなった姉という外見を与えるために、最寄りの記憶をさぐったためなのか、理由はいろいろあるのだろう。あの望海と言った女性のその後の生活もぼくはまったく知らないのだ。彼女も希美がいなければぼくの生活のエリアに入ることもなかった。不思議なものだ。そして、会えないということは年を取らせることもできないのだ。ぼくは自分が得意としていたかもしれない嫉妬や憎しみや嫌悪でさえ勝手に奪われてしまう恐ろしさを感じていた。その負の感情を自由にできることがぼくという存在の証しだった。ぼくは意図せずに手放してしまう。また、さっきまで手放してしまいそうなことにも気づいていなかった。
「ごめんね、明日」
絵美はしつこく言った。彼女は自由にできない感情のなかに生きていて、自由にできない予定のなかをさすらい、そして、組み込まれていた。代わりにぼくの休日は自由だけになった。
翌日、ぼくはビルの上にいた。いつか、希美の友人と会った日にこの付近にいた。都心の風景はそうは変わってはいない。もっと遠くには目新しいものが作られて、なじみだったものが躊躇なく壊されているのだろう。なじみで、ぼくのそばにあったたくさんの物やひと。新しく受け入れたひとや物。どれもぼくを通過し、もっともふさわしい場所や相手にたどりつく。ぼくは昨日の紅茶のカップを思い出していた。絵美のきれいな指ににぎられた華奢な取っ手。中味は刻々と変わる。ぼくもあれと同じなのだ。コーヒーを入れ、紅茶を注ぐ。いまは絵美であり、二十数年前は別の大事な誰かだった。ぼくのカップはどれぐらいの耐久性を有しているのだろう。取っ手がグラグラになって緩んだり、縁が欠けてしまうということもあるのだろうか。だが、中味は熱い。熱々の彼女たちがいまでも沸騰しているようであった。