爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

11年目の縦軸 38歳-19

2014年03月11日 | 11年目の縦軸
38歳-19

 ぼくと絵美は金曜の仕事帰りに飲み、軽く酔っ払った状態でコンビニエンスストアに寄り、さらに飲み直そうと軽いつまみを仕入れた。袋をぶら提げ、その途中にあるレンタル屋さんに特別に見たい映画もないのだが物色のために入った。店内は思った以上に混んでいた。金曜の夜の特有の自堕落さの予兆みたいなものが店内を覆っている。

 ぼくらは狭い通路を横歩きで棚を眺めながら数本に絞ろうとしている。絵美は一遍で虫歯になりそうな甘ったるい恋愛映画を選んでいた。ぼくは、反対に乾いたものを望んでいる。未知なるもので冒険するか、もう一度見たかったのに機会を逃していたものにするか検討する。思いがけなく手に取っていたのは、タクシー・ドライバーだった。

 家のカギを開け、電気をつける。誰もいなかった部屋はかすかに自分の匂いをさせている。ぼくは薄く窓を開け、冷たい外気を入れようとした。

 絵美は服を脱ぎ、ハンガーにかけた。彼女の普段着に近いものがぼくの部屋にもあった。ぼくは靴下を洗濯機に放り込み、顔を洗った。そして、グラスと皿を出してテーブルに置いた。

 円盤はまわり、代わりに映像を流す。絵美が選んだ甘い映画。導入はカラフルな車から降りる女性の足もとのアップだった。カメラというものはときに一点を拡大し、ときに遠くに対象を置き去りにして小さくも映した。だが、はじまって二十分もしないうちに絵美は背もたれに背中をくっつけた姿でうとうとしていた。もうつづきは見られそうにもない。また明日やりなおしという判断でぼくは画面を停止させる。絵美とは別にぼくの眠りは消えてしまった。ぼくはもう一枚の円盤に変える。トレイは映画をのみこみ、異なった種類の色彩を画面に映した。

 主人公は不眠症でタクシーの運転手になる。一石二鳥だ。世の中の欺瞞に感じやすいこころは、道を運転する際に目にする人々の振る舞いによってさらに増幅させる。その反面、ひとりの女性を見かけたために、彼のこころは危うくも均衡が保たれているようだ。

 その女性は選挙事務所のオフィスの窓ガラスの向こうにいる。有能であることは遠くからでも分かる。彼はタクシーを違法駐車して運転席からその姿を見つめる。

 彼は、その女性とのきっかけをつくるため大統領候補を応援することにする。どちらの主義の側の候補者かも観客は教えられない。同国民はその素振りや口調から、どちらの政党に属するか理解することもできるのだろう。

 ぼくはその選挙事務所にいる女優を見たことがあるように思う。この映画も数回目なのだから当然だが、違う映画に出ている彼女のことを思い出そうとしていた。誰かに似ている。そう、希美に似ていると言ったことがある。

 ぼくは希美のあれ以降の姿を知らない。そして、実際よく考えればふたりの顔は似てもいなかった。若い女性だけが有しているはかない力のようなものがふたりにはあったということだ。希美の姿はもう確認できないが、女優という職業柄、この大人の女性になるために訪れた変化は画面から見つけられた。男性から言い寄られるだけではない。拒否し、主導権をにぎり、不快なものにはノーと言える権利をもつ。実際、彼女はデートの場所に不満をつのらせる。もちろん、当然の主張であった。

 主人公はこの所為ばかりでもないが歯車を狂わせていく。不満を解決するために自分で行動に出る。ぼくの眠りは完全に消えてしまった。希美を思い起こしたものも後半はまったく立ち入らない。すると、絵美の身体がもぞもぞと動く。

「あの映画、こんな展開になるの?」眠たそうな目で彼女は訊く。
「違うよ、もう一本の映画だよ。明日、また見直そう、あれは」
「そう。先に布団に入るよ」絵美は逆回転で動く映像のように寝そべったまま身体をベッドの上に移動させた。

 ぼくは最後まで見る。そして、歯をみがいた。つまみはそのままで皿の上で明日には乾いてしまうだろう。ぼくはハンガーにかかった絵美の服の袖がまくれていたので、しわをのばした。その持ち主はベッドで寝ている。下に顔を向け、様子は分からない。そのひとを表すものは後ろ姿の寝相では分からない。ぼくは電気を消して彼女の横に入った。ぼくはある女優の変化のことを暗い中で考えていた。役柄も役名も違う。それによって服装や、言葉遣いも多少、変えるのだろう。ぼくは十一年間で変わったのだろうか。この横にいるのは希美であるのだ、と誰が否定できるだろう。ところが突然、絵美は腕を伸ばし、ぼくの首の上にその腕をのせた。ぼくは息苦しく感じる。あの女優とぼくとは関係がない。ただ若い学生のころと、大統領を推すブレーンまでになる姿の変化を与えてくれたのだ。

 ぼくは窓を開けっぱなしであったことを思い出し、絵美の腕をどけて閉めに行った。絵美の服がゆらゆらと揺れているような錯覚におちいった。かまってほしいとでもいうように。ぼくはまたベッドに戻る。あおむけになり、また絵美の腕をもちあげ、首のうえにのせた。その重みが関係性のすべての象徴だった。彼女は寝言らしき音をもらす。意志を伝えるためには不明瞭すぎて、当然そのような意図もまったくないので、ぼくは目をつぶる。あと数時間は絵美も、希美もおそらくぼくの頭から消えているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする