27歳-19
希美はぼくの部屋で映画について書かれている文庫本を読んでいた。暇な休日をもてあましているふたり。
まだ、その頃は名画座と呼ばれるものがあった。窮屈な椅子に、清潔さにおいて満点を与えられないトイレ。チープなショーケース内のお菓子。ぼくは希美と交際する前は、そうした場所で時間を過ごすことも多くあった。だから、その文庫のなかで感想が書かれているむかしの映画も見ていたものも少なくなかった。
彼女はひとつの映画に目を留める。ラスト・ショー。ラスト・ピクチャー・ショー。最後の上映の映画。
ぼくはその内容を思い出す。寒々しい風景。白黒の画面。雑誌で調べると、ちょうど今日まで上映している映画館があった。ぼくらは仕度をして、そこまで出向く。
映画がはじまると当然のこと、ぼくらは黙って同じ画面を見つめる。数人の女性がでる。人生に絶望したような主婦。生活感がにじみでている。同じ境遇でありながら、エネルギーを失わない女性。その娘は自由であり、奔放であった。この若さの瞬間を、出来が素晴らしい映画の登場人物として遺される幸福に彼女は気付いていないようだ。それゆえに、より自然な形で、演技とか計算とかからも自由でいられる。
ぼくはなぜか登場人物である彼女と希美を重ね合わせようとしていた。顔立ちもそれほど似ていない。鼻の形は全然ちがう。希美は奔放でありながらも、慎ましさもあった。だが、若さが躍動する年代のピークのようなものをお互いが兼ね備えているのだろう。ぼくは画面に彼女が出る度に、横にいる希美のことを思った。
すがすがしい終わり方でもない。ふたりの胸にはしこりのようなものが残ってしまう。
「あのふたり、どうなるんだろうね?」
「どの、ふたり?」
それぞれが田舎の小さな町で関係性の行き詰まりを感じて生きているようだった。ぼくは男性同士の友情のようなものを先頭に置いた。
「最後に暴れた奥さんと、主人公」と希美はそれ以外にないでしょう、という顔付きで言った。
「主人公は、彼か」その定義もむずかしいが、でも、妥当なのだろう。「小さな田舎のことだからね」
「田舎の生活なんて、知らないでしょう?」
「小さな町なら知ってるよ」ぼくは自分の暮らした家から、そう大きくない円周内にまだいた。「目の端で挨拶しなきゃいけないひととも、まだ会うし」
「ちゃんと、挨拶すればいいのに」
「それほど、親しいってこともないから。なくなったから」
「ふうん」
希美はストローにすぼめた口をつける。
「希美とあのひと、似てなかった?」
「誰と?」
「あの男性たちを翻弄する高校生」
「やだな」彼女は不快そうに鼻にしわを寄せる。
ぼくは映画のなかの女性の胸の隆起を想像する。男性の視線は自然とそこに向く。ふんわりと揺れるスカートの裾。セーターの胸のあたり。逆に気にしないこともある。男性の指の繊細さや武骨さなど、いっさい、気にならない。また、気になってしまえば別の問題や志向が発生し、露呈してしまうのだろうが。
「まあ、あんなに自由じゃないけど」
「そんなに胸も大きくないし」彼女は自分の視線を下に向ける。ぼくもそれにつられて目の向きが変わる。「同意したでしょう?」
「それで充分だよ」
「やだな。やな言い方」
ぼくらはまた家に戻っている。彼女はさっきの本を見ている。目次には、同じ監督の別の映画が紹介されており、同じ俳優の別の出演したものも説明されている。ぼくらは当然の成り行き上、次はこの映画を見ようという計画を立てる。果たされないものもあり、きちんと実行したものもある。しかし、ぼくは横に希美がいたかどうかさえ思い出さなくなるのかもしれない。別の誰か。あるいはひとりでか。
彼女は恥じた胸をぼくの前にさらす。テキサスにいる女性など会うこともない。そして、ひとりとして知らない。だが、ここにいる女性はぼくの前では自分の身体を見せる。不思議なことだ。
「田舎に帰省すると、やっぱり、なつかしいの?」
「どうかな、もう習慣だからね。ね、なつかしい?」
「なつかしいも、なにも、ここしか知らないから」ぼくも仮にテキサスに生まれていれば、大都会のニューヨークも知らず、カリフォルニアも経験せず、石油などを掘っていたのかもしれない。そして、少しやんちゃな女性に翻弄される。それも悪くないできごとだったが、ぼくに選ぶことなどもうできない。
彼女は器用にブラジャーをつける。外す権利は有していながらも、つけることには無頓着である。自分が部屋の整理もできない人間に思える。散らかしたままで放っておく。希美は自分の読みかけたところにしおりを挟み、文庫を本棚にしまった。
ぼくは希美が帰ってから同じ本を開いた。見た映画も結末を思い出せないものも多くあった。映画などシーンの連続であると考えれば、結末などどうでもいいのだろう。いや、結末こそが映画の醍醐味や本質なのだとも言えた。あるひとこま。胸をさらす希美。ブラジャーのホックを器用につける希美。何度も同じことを繰り返してきたのだろう。歯磨きや洗顔と同じ頻度で。ぼくの前で裸になるのは日常のことではない。誰にとっても日常ではない。プールの飛び込み台に立つ若き女性。あの日。ぼくはいくつものあの日を作る。いずれ、あの日は増えていかなくなる。それすらも分からない。
希美はぼくの部屋で映画について書かれている文庫本を読んでいた。暇な休日をもてあましているふたり。
まだ、その頃は名画座と呼ばれるものがあった。窮屈な椅子に、清潔さにおいて満点を与えられないトイレ。チープなショーケース内のお菓子。ぼくは希美と交際する前は、そうした場所で時間を過ごすことも多くあった。だから、その文庫のなかで感想が書かれているむかしの映画も見ていたものも少なくなかった。
彼女はひとつの映画に目を留める。ラスト・ショー。ラスト・ピクチャー・ショー。最後の上映の映画。
ぼくはその内容を思い出す。寒々しい風景。白黒の画面。雑誌で調べると、ちょうど今日まで上映している映画館があった。ぼくらは仕度をして、そこまで出向く。
映画がはじまると当然のこと、ぼくらは黙って同じ画面を見つめる。数人の女性がでる。人生に絶望したような主婦。生活感がにじみでている。同じ境遇でありながら、エネルギーを失わない女性。その娘は自由であり、奔放であった。この若さの瞬間を、出来が素晴らしい映画の登場人物として遺される幸福に彼女は気付いていないようだ。それゆえに、より自然な形で、演技とか計算とかからも自由でいられる。
ぼくはなぜか登場人物である彼女と希美を重ね合わせようとしていた。顔立ちもそれほど似ていない。鼻の形は全然ちがう。希美は奔放でありながらも、慎ましさもあった。だが、若さが躍動する年代のピークのようなものをお互いが兼ね備えているのだろう。ぼくは画面に彼女が出る度に、横にいる希美のことを思った。
すがすがしい終わり方でもない。ふたりの胸にはしこりのようなものが残ってしまう。
「あのふたり、どうなるんだろうね?」
「どの、ふたり?」
それぞれが田舎の小さな町で関係性の行き詰まりを感じて生きているようだった。ぼくは男性同士の友情のようなものを先頭に置いた。
「最後に暴れた奥さんと、主人公」と希美はそれ以外にないでしょう、という顔付きで言った。
「主人公は、彼か」その定義もむずかしいが、でも、妥当なのだろう。「小さな田舎のことだからね」
「田舎の生活なんて、知らないでしょう?」
「小さな町なら知ってるよ」ぼくは自分の暮らした家から、そう大きくない円周内にまだいた。「目の端で挨拶しなきゃいけないひととも、まだ会うし」
「ちゃんと、挨拶すればいいのに」
「それほど、親しいってこともないから。なくなったから」
「ふうん」
希美はストローにすぼめた口をつける。
「希美とあのひと、似てなかった?」
「誰と?」
「あの男性たちを翻弄する高校生」
「やだな」彼女は不快そうに鼻にしわを寄せる。
ぼくは映画のなかの女性の胸の隆起を想像する。男性の視線は自然とそこに向く。ふんわりと揺れるスカートの裾。セーターの胸のあたり。逆に気にしないこともある。男性の指の繊細さや武骨さなど、いっさい、気にならない。また、気になってしまえば別の問題や志向が発生し、露呈してしまうのだろうが。
「まあ、あんなに自由じゃないけど」
「そんなに胸も大きくないし」彼女は自分の視線を下に向ける。ぼくもそれにつられて目の向きが変わる。「同意したでしょう?」
「それで充分だよ」
「やだな。やな言い方」
ぼくらはまた家に戻っている。彼女はさっきの本を見ている。目次には、同じ監督の別の映画が紹介されており、同じ俳優の別の出演したものも説明されている。ぼくらは当然の成り行き上、次はこの映画を見ようという計画を立てる。果たされないものもあり、きちんと実行したものもある。しかし、ぼくは横に希美がいたかどうかさえ思い出さなくなるのかもしれない。別の誰か。あるいはひとりでか。
彼女は恥じた胸をぼくの前にさらす。テキサスにいる女性など会うこともない。そして、ひとりとして知らない。だが、ここにいる女性はぼくの前では自分の身体を見せる。不思議なことだ。
「田舎に帰省すると、やっぱり、なつかしいの?」
「どうかな、もう習慣だからね。ね、なつかしい?」
「なつかしいも、なにも、ここしか知らないから」ぼくも仮にテキサスに生まれていれば、大都会のニューヨークも知らず、カリフォルニアも経験せず、石油などを掘っていたのかもしれない。そして、少しやんちゃな女性に翻弄される。それも悪くないできごとだったが、ぼくに選ぶことなどもうできない。
彼女は器用にブラジャーをつける。外す権利は有していながらも、つけることには無頓着である。自分が部屋の整理もできない人間に思える。散らかしたままで放っておく。希美は自分の読みかけたところにしおりを挟み、文庫を本棚にしまった。
ぼくは希美が帰ってから同じ本を開いた。見た映画も結末を思い出せないものも多くあった。映画などシーンの連続であると考えれば、結末などどうでもいいのだろう。いや、結末こそが映画の醍醐味や本質なのだとも言えた。あるひとこま。胸をさらす希美。ブラジャーのホックを器用につける希美。何度も同じことを繰り返してきたのだろう。歯磨きや洗顔と同じ頻度で。ぼくの前で裸になるのは日常のことではない。誰にとっても日常ではない。プールの飛び込み台に立つ若き女性。あの日。ぼくはいくつものあの日を作る。いずれ、あの日は増えていかなくなる。それすらも分からない。