爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-20

2014年03月13日 | 11年目の縦軸
16歳-20

 ぼくらの間には約束も契約もなく、だからこそ疑いも誓いも裏切りも入り込まなかった。ほんの小さなルールさえなかった。まるでエデンにいるかのように。当人たちはその輝きを与えられた恩恵ではなく当然のこととしている。

 ぼくは自分の文章の美醜への挑みのためだけに、ある人物を捏造する。設定もあやふやなままで、十一年間の異なった観点があるのみだ。理想を書き、現実を見下す。現実から受けた喜びや被害を、架空のものに移し替える。ミロのヴィーナスには腕がなくても、ある種の女性の究極の理想像だ。しかし、その白い肌に恋をすることはできない。なぜなら欠点もないからだ。ぼくらは、いくらか頼りないものを愛おしむようにできているのだろうか。

 ぼくは彼女の欠点を思いつかない。作り物との境界を歩む作者としての才能もない。わざわざ欠点を生み、恋や人物像を多角化させることもない。一点でもあればいいが、どうやってもない。だが、物語はすすみ、燃料の不足におびえながらも次の目的地である駅を目指す。ぼくらはいずれ理想郷を追われる。ぼくは彼女の料理の味も知らない。子どもの叱り方も知らない。しわひとつ見たこともない。髪に白いものが混じり、生活の重みがじわじわとのしかかってくる。その途中にも幸福があるのだ。ぼくはそれらを手に入れられなかったからこそ、永遠の少女像を築き上げることができている。

 美しさだけが永続する。頭のなかにある女性像は消えることもなく、対象の有無や、継続や事情の如何によっても影響されることはない。海の深い底で彫刻は誰かの手によって浮かぶ機会を望んでいる。ぼくは自分の手で、この女性を地上に運び上げる。たとえ、腕が水圧によってもぎれ、耐え切れずに欠如したとしても。

 完全に、隅々まで誰かを知るということは可能なのだろうか。右の側面より左側の表情の方が好きかどうかもぼくは知らない。爪の伸びる速度。長い髪にしたときの彼女の様子。それらは長期間に亘って、試行錯誤をくりかえした後にのみ、やっと、きっかけぐらいを与えられるものなのだろう。

 ぼくは進行形で得たことだけを考える。だが、ぼくのノートは早い段階で白いままで終わってしまう。そのなかの小さな点やしみですら、ぼくは拡大視し、意味付けし、蒸し返そうとしている。

 ぼくらは喫茶店にいる。国道から一本入った通りだ。ぼくらの前にはふたつのパフェがある。ぼくは会話の能力があるともないとも思っていない。ただ、姉妹というものを有していなかったせいか等身大というものから隔たっているような気もする。彼女にも男兄弟がいない。そのことで異常なぐらいに恥じることもなく、自分を可愛く見せようという態度もなかった。かといって可愛さが減る訳でもない。作為というものを嫌う自分の前に出てくるに値する愛らしさだった。定まった大きさの電池をはめこむようにぴったりの。

 ぼくは話題のストックが大量にある訳でもない。べらべらと話しつづけることもしなかった。あれぐらいで彼女に不満はなかったのだろうか。格好いい男。おもしろい男。知的な男。賢さ。金銭が前面で主張するような年代でもない。ぼくはそのすべてに該当しないようにも思える。また反対にそのパートを数パーセントずつ微量にだけ持っているようでもあった。

 可愛らしさ。明るさ。大らかさ。胸の大きさ。青年になりかけの男性の目をくらますことなど簡単なことだ。守備ももろく、盗塁され、自分の側では牽制に刺される。愛という言葉を介在させなくても、それでも日々はすすんでいった。なぜ、大人は、本来はいらないものを要求するのだろう。

 税金もはらうことなく、選挙権もない。ぼくらは駅前で演説する候補者のあつかましさからも範疇外だった。安い費用で公立の義務教育を終えた。彼女は私立の高校に通っている。ぼくは、もうその範疇にもいない。

 同じ教育を受けても、得るものも、人格としての結果も変わってくる。愛らしさも違う。その女性はスプーンで生クリームをすくう。老いも病気もぼくらの前には微塵もなく、その予兆すら皆無である。永続する疲れも、ストレスもない。ぼくらはただ会話して、笑って、楽しめばよかったのだ。それを引き留めるものも拒むものもない。

 若さの絶頂にいながらも、彼女の身長はもうこれ以上、伸びそうにない。ぼくもどうやら止まってしまったようだ。これから、ひげを頻繁に剃らなければならなくなる。その大人へのスタート地点にいることは、本当の恋の味を知る年代でもあった。その味はこのように甘いものだろうか、苦みがいくらか含まれていくのだろうか。ぼくもスプーンで白いものをすくう。甘味はぼくの体内にも味覚にもまだまだ必要であった。

 ぼくらは店を出て少し歩き、彼女の家へ向かう。家のなかの様子もぼくは知らない。いつか、そこにぼくは居場所を見つけるのだろうか。恋人の家に入ったことのある友人をぼくは思い出そうとしたが、なかなか簡単には見つからない。そもそも、ぼくは女性の家の中に入ったこともないのだ。姉妹のいない自分は、その内部の神々しさも同じように未知であった。

 ぼくは彼女の家に近い角で、最後に別れを惜しんで正面から抱きしめる。筋肉というものが感じられない柔らかな身体。弾力。この時間が数時間もつづけばと願う。しかし、帰らねばならない。夜の領分にも限りがあり、ぼくという十代の男の責任感もわずかしかなかった。夜通し連れまわすことができるほど、ぼくには意思も能力も、あるいは、ありとあらゆるすべてがなかった。