先日、改めて『駅馬車』(39)を見て思い出した短編小説があった。『殺人列車は走る』(徳間文庫トラベル・ミステリー4・鮎川哲也編)に所収されている『映画狂の詩』(おかだえみこ)だ。
この短編は『駅馬車』のロケ地となった砂漠を訪れた私と鉄馬くんが、やはり砂漠でロケされたエリッヒ・フォン・シュトロハイムの『グリード』(24)を京橋のフィルムセンターで見るところから始まる。その時、鉄馬くんが「この映画は今は不完全版しか残っていないけど、完全版を所有するという老人が出てくる小説がある」と言って私に本を貸す。
それがジャック・フィニイの『マリオンの壁』で、古い家に移り住んだ若夫婦の妻の方に、昔ハリウッドへ行く前夜に事故死した若い女優マリオンの霊が憑依する、というもの。ノスタルジー作家フィニイならではの古い映画に関するネタ満載の小説だった。
『駅馬車』と『グリード』を発端に、話が『マリオンの壁』まで広がっていく『映画狂の詩』が、なぜトラベル・ミステリーに所収されているのかはネタバレになるので書けないが、なかなか面白い落ちがついていた。
ちなみに『マリオンの壁』は『マキシー 素敵な幽霊』(85)として映画化され、グレン・クローズが二役を演じたが、成功作とはならなかった。また、京都の撮影所を舞台にした浅田次郎の幽霊譚『活動寫眞の女』はこの『マリオンの壁』に影響されて書かれたと思われる。
市川崑は実験精神にあふれた多作の映画監督だったが、実はモダンな文芸映画の監督でもあった。例えば、日活時代には、夏目漱石の原作を一種の心理劇として映画化した『こころ』(55)と、竹山道雄の児童小説を叙情的に描いた『ビルマの竪琴』(56)がある。
三島由紀夫の「金閣寺」を基にした『炎上』(58)、大岡昇平原作の戦記映画『野火』(59)、谷崎潤一郎の原作をブラックユーモア作とした『鍵』(59)、大正末期を再現した幸田文の『おとうと』(60)は、それぞれ大映時代に撮った傑作。他にも山崎豊子原作の『ぼんち』(60)、島崎藤村原作の『破戒』(62)がある。ここらあたりは、妻で脚本家の和田夏十の力も大きかったのだろう。
アガサ・クリスティをもじった、久里子亭(クリステイ)のペンネームで脚本も書いた横溝正史原作の『犬神家の一族』(76)以降の金田一耕助シリーズ(『悪魔の手毬唄』(77)『獄門島』(77)『女王蜂』(78)『病院坂の首縊りの家』(79))も、見方によっては立派な文芸映画だと思う。山口百恵の引退作となった川端康成原作の『古都』(80)や、谷崎潤一郎原作の『細雪』(83)は美しい映画だった。山本周五郎の「町奉行日記」を基にした『どら平太』(00)や、『かあちゃん』(01)といった時代劇もある。
また、エド・マクベインの87分署シリーズの「クレアが死んでいる」を映画化した『幸福』(81)は、『おとうと』以来の“銀残し”が効果的な、隠れた名作だと思う。
晩年は、周五郎原作の「その木戸を通って」(95)、志賀直哉原作の「赤西蠣太」(99)や、松本清張原作の「逃亡」(02)といったテレビドラマに佳作が多かった気がする。