『天国と地獄』(63)(1980.11.7.)
三船敏郎の豪快かつ繊細な主人公、山崎努のエキセントリックな犯人、仲代達矢、石山健二郎らの捜査陣、実に多彩な脇役たち。こだま号での希に見る撮影、犯人が燃やしたカバンが白黒の画面の中で赤い煙となって現れるシーン…。
全編にあふれるサスペンスといい、ドラマの豊かさといい、配役の妙味といい、まさに超一級の映画である。そして、最後は人間にとって天国とは、地獄とは一体何なのだろうという、答えのないテーマが重くのしかかってくる。黒澤神話の一端を垣間見た思いがする。
ところが、次に見た時はこんな風に変化した。(1982.1.25.並木座 併映は『素晴らしき日曜日』(47))
図らずもこの2本を一緒に見ることで、黒澤明の変化について気づかされた。貧しい恋人たちの一日を描いた『素晴らしき日曜日』の黒澤は貧しい者や弱者に対して限りなく優しいまなざしを向けて描いている。ところが『天国と地獄』では強者の目で映画を作っている。この映画の弱者である運転手の青木(佐田豊)や犯人の竹内(山崎努)の姿は情なくもおぞましい。逆に、主人公の権藤(三船敏郎)や警部の戸倉(仲代達矢)といった強者はひたすらかっこよく、正義の人として描いているのだ。
確かに映画としての面白さや映像的な魅力、壮大なテーマという点から見れば『天国と地獄』の方が数段上であることは明らかだ。これだけの映画を作った黒澤の力量には恐れ入るばかりである。けれども、『素晴らしき日曜日』から感じた温かさを『天国と地獄』から感じることはできなかった。若き日に作ったものと、巨匠となって作ったものとではこんなにも違ってしまうものなのか…。
と、改めて、当時のメモを読み直してみると、たかが1年たらずの間に、自分の中でこれだけ評価が変わっていることに我ながら驚いた。今振り返ってみると、これは『天国と地獄』や『赤ひげ』(65)に対して批判的だった『黒澤明の世界』(佐藤忠男)に感化されたからだと思われる。今では考えられないことだが、まだ自分も若かったということだ。その後、ドナルド・リチーの『黒澤明の映画』を読んで、映画についての感情論と分析の違いを知ったのだった。