大道芸人のアーサー(ホアキン・フェニックス)が、なぜ邪悪なジョーカーになったのか…。バットマンの宿敵ジョーカー誕生の物語を創作。監督は『ハング・オーバー』シリーズのトッド・フィリップス。これまでコメディ映画中心だった彼がこんな硬派な映画を撮るとは驚いたが、思えばこの映画も“笑いとは?”を描いているのだ。
舞台は、1970~80年代の汚れたニューヨークを思わせるゴッサムシティ。全体的に暗く、救い難い設定や、醜悪で孤独なアーサーの姿を見ると嫌悪感すら浮かぶのに、かえって、そうした負のパワーに引き付けられるところがある。人を笑わせたいという願望が狂気に変わるアーサーの姿は、悲しみと不気味さを併せ持つピエロの本質を鋭く突く。道化師という意味では、チャップリンの『モダン・タイムス』(36)が映り、ジミー・デュランテが歌う「スマイル」が流れるのも象徴的。ラストソングはフランク・シナトラの「悲しみのクラウン」だ。
また、70~80年代に全盛を極めたロバート・デ・ニーロが、出演作の『キング・オブ・コメディ』(82)を思い出させるようなテレビショーの司会者を演じている皮肉も面白いし、アーサーに『タクシー ドライバー』(76)のトラビスの姿が重なるようなところもある。
過去に、テレビドラマ「バットマン」でジョーカーを演じたシーザー・ロメロと、映画版(89)のジャック・ニコルソンにはコミカルなところもあったが、『タークナイト』(08)のヒース・レジャーや、『スーサイド・スクワッド』(16)のジャレッド・レトのジョーカーは狂気が目立った。この映画のジョーカーはそこに悲しみと醜悪さがプラスされ、エキセントリックな役柄を得意とするホアキンの独壇場の感がある。
ただ、フィリップス監督は「周囲のアーサーへの共感の欠如」を映画のポイントに挙げ、演じたホアキンも「アーサーへの同情もあるが、逆に彼にうんざりするところもあった」と語る。つまり、この映画のジョーカーは甚だ感情移入しずらいキャラクターだということだ。
何だか、こうしたホアキンのエキセントリックな演技を見るたびに、もし、兄貴のリバー・フェニックスが生きていたらどんな俳優になっていただろうか、などと思ってしまう。