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(2006.10.7.)
セオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』(文春文庫刊)を読了。文庫上下巻でほぼ1000ページの破天荒な超大作。舞台は1960年代から70年代。大筋は映画学科の教授になった元映画フリークが、戦前に活躍しながら行方不明になった謎の監督が映画の奥に隠した秘密の技法とキリスト教の異端教団との関係に迫る…という謎解きを含んだ一種のホラ話なのだが、そこに実際の映画史や宗教史が盛り込まれるから必然的に話は壮大になる。
上巻は一気に読めるが、下巻の前半はちょっとダレて正直読むのがつらかった。だがそれを超えるとまるで麻薬のように読むのがやめられなくなる。もっともラストは大山鳴動して鼠一匹という感じがしないでもないが。
主人公が魅かれる謎の映画監督マックス・キャッスルはもちろん架空の人物だが、フリッツ・ラング、カール・フロイント、エド・ウッド、ロジャー・コーマンなど、モデルとなったであろう複数の人物が想像できる。そして、そこにオーソン・ウェルズやジョン・ヒューストンもからんでくるから、読んでいるうちにどこまでがホラ話なのかが分からなくなる“快感”が味わえ、全編を読み終わると副題通り“映画の魔力”を強く感じさせられる。映画フリークでなければ書けない、まさに怪書と言える。
惹句は「異能の映画スタッフが、いわく付きの脚本を映画化するために集い、さまざまな困難を経て、映画を撮り上げる姿を描く職業小説」。
タイトルは聖書の「神は7日で世界を造った」という天地創造にあやかり、「映画の創造は7日では無理。もっと大変だ」ということを暗に表現している。
前半は、それぞれのスタッフを描いた連作短編の趣があって面白い。彼らが集う後半の中編「アンダー・ヘヴン撮影記」は支離滅裂だが、読者を引き込むパワーがある。ただ脚注的に挿入されるさまざま映画に関する説明はかえってじゃまな気がした。
文庫600ページを超える大冊で、セオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』をほうふつとさせ、映画製作にまつわるカオス的な世界が描かれるのだが、結末は大山鳴動して鼠一匹の感もあり、これも『フリッカー~』と同様。ただ作者の映画への熱い思いは痛いほど伝わってきた。映画好きには一読をお薦めする。