田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『ビートルズ・アンソロジー』

2020-08-18 13:19:16 | ビートルズ

1995.12.『ビートルズ・アンソロジー』Vol.1

 噂の『ビートルズ・アンソロジー』Vol.1が発売されたので、早速聴いてみたのだが、やはり、ジョンの残したテープに3人の演奏と声を重ねた新曲「フリー・アズ・ア・バード」は妙なものだった。映画のCG合成同様、テクノロジーの進歩が、亡くなった本人の同意もないままに、姿や声をよみがえらせるという現象は、果たして喜ぶべきものなのだろうか、という疑問が残った。

 ところで、このアルバムの面白さは、未発表だった数々のデモテープが聴けるところで、曲を完成させるまでに彼らが行った試行錯誤がよく分かるところがある。例えば「ノー・リプライ」「アンド・アイ・ラブ・ハー」「アイル・ビー・バック」などが、普段聴いているイメージに、段々と近づいていく過程が聴けるのは、楽しいものであった。それにしても、やっぱりジョンとポールのハーモニーは絶品だなあ。

1996.1.『ビートルズ・アンソロジー』テレビ

 テレビ朝日がやってくれた『ビートルズ・アンソロジー』を少しずつ見る。大筋は、過去の「コンプリート・ビートルズ」などからの流用が目立ち、期待したほどの新味はなかったのだが、もう年を取らないジョン以外の3人の老けぶりが切なく心にしみて、懐疑的だった「フリー・アズ・ア・バード」にも、「これは、彼らにしか分からない思いから作られたものなのだから、つべこべ言うべきではないのかもしれない」と思わされた。そう思うと、味わいのある曲のような気もしてきたから困った。

1996.4.『ビートルズ・アンソロジー』Vol.2

 今回の目玉である新曲「リアル・ラブ」は前作の「フリー・アズ・ア・バード」ほどのインパクトはなかったが、ジョン、ポール、ジョージのハーモニーの美しさには思わずグッときた。

 さて、今回収められた時期は、彼らが最も音に凝って、実験を繰り返していた頃だけに、「1」よりも聴き応えがあった。それとは逆に、アコースティックギターだけでの演奏(リハ)の方が、完成版よりも、その曲が本来持っているメロディラインの美しさを際立たせるケースもあった。こうなると「3」が楽しみになってくる。

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ポール・マッカートニー日本公演1993と、その後

2020-08-18 11:27:25 | ビートルズ

ポール・マッカートニー日本公演(1993.11.14./15.東京ドーム)

 3年ぶりのポール。辛抱たまらず、今回も2日続けて行ってしまった。前回は明らかに喉の調子が悪く、もはやライブは厳しいか…と心配させたのも何のその。50を過ぎたというのに、しっかり復調していたのには驚いた。と同時に、いまだに現役として活躍していることへのうれしさも湧いてきた。

 しかも今回は、日本ではライブ初演となった幾つかのマイ・フェバリット・ソング、例えば「オール・マイ・ラビング」「ウィ・キャン・ウォーク・イット・アウト=恋を抱きしめよう」「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」「マイ・ラブ」等々も披露してくれたのだ。

 ところが、またもや外野から妙な声が聞こえてきた。「過去の栄光をだしにして今の曲を売っている」「もはや富も名声も手にしたのに、まだライブでもうけようとしている」…。まったくポールほど、その行動が悪意に捉えられてしまう人も珍しいのだが、実はその責任の一端は彼自身にもないわけではない。

 ファンを自認する俺でさえ、見ていて恥ずかしくなってしまうようなお茶らけた行動を取ったり、仕草をしたり、不用意な発言をすることも多過ぎるのだ。もちろん、そこには彼独特のサービス精神や照れ隠しも垣間見えはするのだが…。

 何しろ、ポールはロックの育ての親の一人なのだ。30年以上も数々の名曲を作り続けてきた人なのだ。だから、例えばかつての大横綱の北の湖のように、憎らしいほど堂々としていて毅然とした態度を取ってもいいのだ。そうすればバカどもも黙るのではないか。

 などと、考えてはみたものの、ポールがジョンのように間違って神格化されてもなあ…と、相反する思いも浮かんでくる。我ながら、まったくファン心理は厄介だと思う。

 ところで、80年のウィングス公演が、例の成田事件で没になったので、「バンド・オンザ・ラン」関連以外は、ウィングス時代の曲の大半が聴けていない。これが最後といううわさもあるが、せめてもう一度、違うブログラムでのライブをお願いしたものだ。2度も大掛かりなライブをやっても、まだ残りがたくさんあるのだから、やっぱりポールはすごいんだよ。

セットリスト
1.ドライブ・マイ・カー
2.カミング・アップ
3.ルッキング・フォア・チェンジズ
4.ジェット
5.オール・マイ・ラビング
6.レット・ミー・ロール・イット
7.ピース・イン・ザ・ネイバーフッド
8.オフ・ザ・グランド
9.キャント・バイ・ミー・ラブ
10.グッド・ルッキン・トゥナイト
11.恋を抱きしめよう
12.アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール
13.エイント・ノー・サンシャイン
14.明日への誓い
15.ミッシェル
16.バイカー・ライカー・アイコン
17.ヒア・ゼア・アンド・エブリフェア
18.イエスタデイ
19.マイ・ラブ
20.レディ・マドンナ
21.カモン・ピープル
22.マジカル・ミステリー・ツアー
23.レット・イット・ビー
24.死ぬのは奴らだ
25.ペーパーバック・ライター
26.バック・イン・ザUSSR
27.ペニーレイン
28.サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
アンコール
29.バンド・オン・ザ・ラン
30.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
31.ヘイ・ジュード


 で、この後もポールの日本公演は続いたが、だんだんと定例化し、最初の興奮は薄れていった。

 2002年11月の東京ドーム公演は妻と見たのだが、リンダ亡き後、再婚したポールが若妻のためにとても無理をしている感じがした。バンドのメンバーも音も若作りで、今のポールには合っていない気がしたのだ。ただし、新曲「ドライビング・レイン」は何だか切なくて好きだった。

 13年11月の公演は、ついに欠席。14年5月の国立競技場でのライブは直前で中止となり、妻と共にまさに競技場の前で門前払いに遭った。そして翌年4月23日に東京ドームで行われた”お詫び公演”を一人でしみじみと聴き、これでポールのコンサートからは卒業すると決めた。

 だから、17年4月と18年10月、11月のコンサートには行っていない。

02.セットリスト
1.ハロー・グッドバイ
2.ジェット
3.オール・マイ・ラビング
4.ゲッティング・ベター
5.カミング・アップ
6.レット・ミー・ロール・イット/フォクシー・レディ
7.ロンリー・ロード
8.ドライビング・レイン
9.ユア・ラビング・フレーム
10.ブラックバード
11.エヴリナイト
12.恋を抱きしめよう
13.ユー・ネバ―・ギブ・ミー・ユア・マネー/キャリー・ザット・ウェイト
14.ザ・フール・オンザ・ヒル
15.ヒア・トゥデー
16.サムシング
17.エリナ・リグピー
18.ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア
19.ミッシェル
20.バンド・オン・ザ・ラン
21.バック・イン・ザU.S.S.R.
22.恋することのもどかしさ
23.幸せのノック
24.マイ・ラブ
25.シーズ・リビング・ホーム
26.キャント・バイ・ミーラブ
27.死ぬのは奴らだ
28.レット・イット・ビー
29.ヘイ・ジュード
30.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
31.レディ・マドンナ
32.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
アンコール
33.イエスタデイ
34.サージェント・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド・リプライズ/ジ・エンド


15.セットリスト
1.マジカル・ミステリー・ツアー
2.セイブ・アス
3.キャント・バイ・ミー・ラブ
4.ジェット
5.レット・ミー・ロール・イット/フォクシー・レディ
6.ペーパーバック・ライター
7.マイ・バレンタイン
8.1985年
9.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
10.恋することのもどかしさ
11.夢の旅人
12.恋を抱きしめよう
13.アナザー・デイ
14.ホープ・フォー・ザ・フューチャー
15.アンド・アイ・ラブ・ハー
16.ブラックバード
17.ヒア・トゥデイ
18.ニュー
19.クイニー・アイ
20.レディ・マドンナ
21.オール・トゥギャザー・ナウ
22.ラブリー・リタ
23.エリナ・リグピー
24.ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト
25.サムシング
26.オブラディ・オブラダ
27.バンド・オン・ザ・ラン
28.バック・インザ・U.S.S.R.
29.レット・イット・ビー
30.死ぬのは奴らだ
31.ヘイ・ジュード
アンコール
32.デイ・トリッパー
33.ハイ・ハイ・ハイ
34.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

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『オフ・ザ・グランド』(ポール・マッカートニー)

2020-08-18 09:25:09 | ビートルズ

1993.2.16.『オフ・ザ・グランド』(ポール・マッカートニー)

 90年のワールドツアーは、ポールと俺たちファンにとっては、今までつきまとっていた、ビートルズとしての、ウィングスとしての、ソロとしての、といった“区分け”を突き破って、一本の太い線でつながったトータルとしてのポール・マッカートニーの存在を確認するためのものだった気がする。

 思えば、ポールがここにたどり着くまでには、ビートルズの解散というトラウマから20年、ジョンの死から10年という歳月が、その解放には必要だったのだし、俺たちにファンにしても、その間、彼を見限りかけたことがあったのも否めない。何しろ20年は長い。

 だが、その長い模索の時代を越えてしまえば、過去の自分を認めてしまえば、もう何も怖いものはない。後は、自らの演奏者としての、メロディメーカーとしての天賦の才を素直に発揮すればいいのだと、きっとポールは気付いたのだ。

 そんなさまざまなものを超越した、自信にあふれた結果がこのアルバムだという気がした。聴きながら無性にうれしくなったり、楽しくなったり、感動したりもする、そんなアルバムなのだ。

 相変わらず軽快でリズミカルなマッカートニー節でありながら、新しさも感じさせる「オフ・ザ・グランド」「ホープ・オブ・デリバランス」「ピース・インザ・ネイバーフッド」という流れ。『プレス・トゥ・プレイ』(86)あたりから目立ち始めた硬質なバラードの結晶の一つである「ゴールデン・アース・ガール」「ワインダーク・オープン・シー」。そしてラストを飾る、ポール流の「ギブ・ピース・ア・チャンス」「イマジン」とも呼ぶべき「カモン・ピープル」…。

 ツアーから引き継がれたバンドのメンバーとのチームワークの良さやエルビス・コステロの存在も含めて、前作『フラワー・イン・ザ・ダート』(89)に勝るとも劣らない傑作に仕上がっている。唯一の欠点は意味不明のジャケットか。

 つまり、驚くべきことにポールは、50歳を超えて、ロックミュージシャンとして最も落ち着いた幸福な絶頂期を自ら作り上げたのだ。これはかつて例のないことであり、ロック=夭折という定義?を見事に払拭してくれたとも言えるのだ。やはりただ者ではなかった。すごい男だ。ファンであり続けてきて本当によかった。

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