『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(11)(2011.10.9.MOVIX亀有)
手作り感とリアル感のどちらがいいのか…
夫:最初の『猿の惑星』が作られたのは68年。以降、『続・猿の惑星』(70)『新・猿の惑星』(71)『猿の惑星・征服』(72)『最後の猿の惑星』(73)と全部で5作が作られたけど、結局はぐるぐる回って元に戻るという時間の円環が描かれていたっけ。ティム・バートン版の『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(01)は番外編ということになるのかな。
妻:シリーズものの映画ですな。”続”とか”新”とか”パート1”とか”2”とかあると、何がどの話だったか分からなくなります。しかも、シリーズの新しいものの方が、オリジナルストーリーの起源というか、より過去の時代の話になってたりするので混乱しますわ。
夫:今回の新作は、オリジナル版との直接的なつながりはないけれど、なぜ猿が人間に対して反乱を起こしたのかを描いている点では『猿の惑星・征服』に近いのかな。
妻:私は『猿の惑星・征服』は見ていませんので何とも…。というか、見ていてもすっかり忘れている方が多いので。
夫:昔は人間に猿の特殊メークを施したことが話題になったけど、今回はCGだから、よりリアルな感じがしたね。昔の方が人間味があって良かったという声もあるみたいだけど…。
妻:確かに昔のは、ジーラもコーネリアスも愛嬌があったよね。理屈でいうと、今回のCGはシーザー役の人間の役者さんの動きを基にしているらしいから、より人間らしい動きが表現できそうに思うのだけれど、人間に猿のマスクを付ける特殊メークの方が“人間味”があっていいって感覚は面白いね。それは”手作り感”が人間くさいというか、どこまでもリアルな猿の造形を追究する人間の情熱そのものに人間味があるってことなのかしらね。
夫:猿(シーザー)たちが蜂起するまでに、人間のひどさがさんざん描かれていたから、いつの間にかシーザーに同情させられている。この辺の描き方はうまいと思ったな。これは、スタンリー・キューブリックの『スパルタカス』(60)における奴隷たちの描き方と似ていると思った。
妻:「アイム・スパルタカス! アイム・スパルタカス! アイム・スパルタカス!…」って奴隷のみんなが叫ぶシーンがあったね。
夫:つまり、あの映画でカーク・ダグラスが演じた奴隷のリーダー・スパルタカスがこの映画のシーザーに当たるわけ。
妻:この映画が『スパルタカス』を意識してたってこと?
夫:ルパート・ワイアット監督自身が「意識した」と語っている記事がキネマ旬報に載っていたよ。
夫:今回は、寿命まで操作する人間のごう慢さや薬害など、社会派的な一面もあったけど、全体としてはエンターテインメントに徹しているところが良かった。ウイルスがまん延していくさまを、地図上のフライトプランで見せるラストも面白かったなあ。
妻:それは分かりやすくてよかったけど、最後に飼い主のウィルが、森に去っていくシーザーたちを見て、「これで良かったんだ」的な表情をしたのには思わず苦笑してしまったわ。こんな大騒動を起こしておいて、そんなさわやかな笑みでいいの?って。
旧ブログ「お気楽映画談議」より
【ほぼ週刊映画コラム】『猿の惑星:新世紀(ライジング)』
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/967846