田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『愛と哀しみの旅路』アラン・パーカー

2020-08-04 07:22:29 | 映画いろいろ

『愛と哀しみの旅路』(90)(1991.4.11.みゆき座)

 第二次世界大戦下、日系人女性(タムリン・トミタ)とアメリカ人男性(デニス・クエイド)の夫婦が体験する悲劇を中心に、マンザナーなど、日系人強制収容所での過酷な日々が描かれる。

 原題は「カム・シー・ザ・パラダイス」であり、アメリカンドリーム=パラダイスを求めて渡った日系移民たちが本当に見たのは、実は楽園ではなかった、という皮肉が込められているのに、この邦題はひどい。これではまるで安っぽい恋愛もののイメージである。

 さて、本題の映画の中身だが、いい意味で『ベスト・キッド』のミヤギさんが、束になって登場してきたような印象を受けた。つまり、日系人たちの姿が珍しく丁寧に描かれ、われわれ日本人が見ても違和感を覚えない程度に収まってくれていたからである。

 この手の映画には、“日本語がまともに話せない日本人”がよく登場するのだが、この映画に関してはそれもほとんどなかった。特に、マコ夫人のシズコ・ホシが、ブロークンな英語の合間に漏らすきれいな日本語は、アメリカ映画の中で初めて聞けたものとして、感動的ですらあった。 

 こうしたことは、監督アラン・パーカーのディテールへのこだわりが、いい面に出たということだろう。ただ、惜しむらくは、パーカーという監督は、問題提起はできても、あまりにも正直過ぎて、例えば、コッポラのような、はったりの効いた叙事詩的な大河映画が撮れないことも、この映画は証明してしまっている。

 だから、外国人がよくこれだけ日本人を描いたと思う半面、劇映画としての面白さを欠いてしまったことは否めない。『ミシシッピー・バーニング』(89)では、こうした問題提起と娯楽のバランスが見事に保たれていただけに、ちょっと残念だった。

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『エンゼル・ハート』アラン・パーカー

2020-08-04 06:00:27 | 映画いろいろ

『エンゼル・ハート』(87)(1989.7.1.ゴールデン洋画劇場)



 1955年のブルックリン、私立探偵ハリー(ミッキー・ローク)は、謎の紳士サイファー(ロバート・デ・ニーロ)から、失踪した歌手の捜索依頼を受ける。ところが、調査の過程で次々と殺人事件が起きる。

 一応、オカルトミステリー仕立ての映画なのだが、悪魔の話なのに天使、という皮肉っぽいタイトルとストーリーの流れを見ていると、途中で種は分かってしまうし、かつて流行した『エクソシスト』(73)のような、こけ脅し的な面白さにも欠ける。

 それなのに何となく最後まで見せられてしまったのは、アラン・パーカーの力業によるものなのか。とは言え、『ミッドナイト・エクスプレス』(79)から最新作『ミシシッピー・バー―ニング』(89)に至るまで、彼はどちらかと言えば社会派のイメージが強く、しかも今回は宗教問題が絡んだこともあって、彼にとっては異色作だと感じさせられたのは否めない。

 従って、あまりいい評価はできない映画なのだが、パーカーの作品に共通する光と影の使い分けのうまさは、この映画でも大いに生かされていた。

 加えて、『ミシシッピー・バー―ニング』を見た際に感じた、「イギリス人のパーカーが、なぜあそこまで見事にアメリカ南部の状況や人物、風景を描けたのだろうか」という疑問も、同じくアメリカのディープサウスを描いたこの映画を先に見ていれば、それほど奇異には感じなかったかもしれない。

 なぜなら、この映画でも、形こそ違え、ディープサウスの閉鎖的な風景が色濃く描き込まれていたからである。やはり、注目の監督の映画は、少々出来が悪くても、後につながる可能性も含めて、見逃してはならない、と改めて感じさせられた。

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