『愛と哀しみの旅路』(90)(1991.4.11.みゆき座)
第二次世界大戦下、日系人女性(タムリン・トミタ)とアメリカ人男性(デニス・クエイド)の夫婦が体験する悲劇を中心に、マンザナーなど、日系人強制収容所での過酷な日々が描かれる。
原題は「カム・シー・ザ・パラダイス」であり、アメリカンドリーム=パラダイスを求めて渡った日系移民たちが本当に見たのは、実は楽園ではなかった、という皮肉が込められているのに、この邦題はひどい。これではまるで安っぽい恋愛もののイメージである。
さて、本題の映画の中身だが、いい意味で『ベスト・キッド』のミヤギさんが、束になって登場してきたような印象を受けた。つまり、日系人たちの姿が珍しく丁寧に描かれ、われわれ日本人が見ても違和感を覚えない程度に収まってくれていたからである。
この手の映画には、“日本語がまともに話せない日本人”がよく登場するのだが、この映画に関してはそれもほとんどなかった。特に、マコ夫人のシズコ・ホシが、ブロークンな英語の合間に漏らすきれいな日本語は、アメリカ映画の中で初めて聞けたものとして、感動的ですらあった。
こうしたことは、監督アラン・パーカーのディテールへのこだわりが、いい面に出たということだろう。ただ、惜しむらくは、パーカーという監督は、問題提起はできても、あまりにも正直過ぎて、例えば、コッポラのような、はったりの効いた叙事詩的な大河映画が撮れないことも、この映画は証明してしまっている。
だから、外国人がよくこれだけ日本人を描いたと思う半面、劇映画としての面白さを欠いてしまったことは否めない。『ミシシッピー・バーニング』(89)では、こうした問題提起と娯楽のバランスが見事に保たれていただけに、ちょっと残念だった。