田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『新・男はつらいよ』

2019-09-14 14:37:24 | 男はつらいよ

『新・男はつらいよ』(70)(1989.6.13.)

 

 山田洋次以外の監督が撮った番外編的な寅さん映画が2本ある。もちろんそのことは知っていたが、男はつらいよ=山田洋次というパターンが確立され、盆暮れと年2回の恒例行事ともなると、この2本はあまり日の目を見なくなり、映画館にもテレビにもかからず、やっとビデオで見ることができた。
 
 とはいえ、見る前は、正直なところ、いまさらと高をくくっていたのだが、見終わった今、驚きを隠せない。通常とは一味違い、細々としたエピソードを羅列し、盆暮れという季節感にも捉われることもなく自由な感じで作られ、このシリーズの本来の姿である喜劇として成立していた。中でも、ハワイ旅行未遂事件のエピソードは最高! 最近のシリーズはペーソスが多過ぎて見るのがつらいのだ。
 
 そこには寅さん=渥美清と今は亡き森川信のおいちゃんの見事な掛け合いがあり、佐山俊二、財津一郎、二見忠男ら喜劇畑の名優たちの小芝居も楽しめる。それに加えて、テレビシリーズを手掛けてきた小林俊一ならではの、ドラマのエピソードを積み重ねていくようなうまさも見られた。チンピラみたいでガラの悪い寅さんの姿も今から見ると新鮮に映る。
 
 とはいえ、森川信や佐山俊二らはすでに亡く、笠智衆はただ顔を出すだけになり、渥美清もやつれた。そして、寅さんがはぐれ者ではなく国民的なヒーローになってしまった今となっては、この頃のパワーやおかしさが出せるはずもない。だから、この映画にしても、ただの懐かしさだけで見てしまうところがあるのだ。
 
 確かに、20年近くもシリーズを作り続けてきた山田洋次をはじめとするスタッフ、キャストには、感謝の意を込めて拍手を送りたいが、今この全盛期の映画を見てしまうと、森川信が亡くなった時に打ち切る手もあった、という一ファンのエゴが出てきてしまう。まあ、その後のシリーズにも随分救われたところがあるから、矛盾するのだけれど…。
 
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『男はつらいよ 望郷篇』

2019-09-14 14:28:35 | 男はつらいよ

 『男はつらいよ 望郷篇』(70)(2005.8.12.)豆腐屋の寅さん

 BSで『男はつらいよ』シリーズを放送している。初期のこのシリーズは、渥美清と森川信の掛け合いが絶品。

 今日は、ディズニーランドなんて想像もできない頃の浦安に、寅が渡し舟で流される『望郷篇』。一時“地道な暮らし”や“額に汗する労働”に目覚める寅の姿が切なくも笑える。

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『男はつらいよ フーテンの寅』

2019-09-14 09:00:56 | 男はつらいよ
『男はつらいよ フーテンの寅』(70)(1990.1.10.)

 
 この前やっとビデオで見た『新・男はつらいよ』に続いて、山田洋次以外の監督(森崎東)が撮ったこの映画。『新~』同様、20年前の作品ながら、かえって新鮮なものを見せられた気がした。もっとも、ラストの「ゆく年くる年」には隔世の感を抱かされたが。
 
 この映画は、いい意味で、寅さんが持っている柄の悪さや、気取り屋としての嫌らしさが前面に出ており、それゆえに生じるおかしさや悲しみから、「男はつらいよ」の本来の魅力である「笑わせながら泣かせる」という味わいが感じられるのだ。
 
 それは、言い換えれば、監督の森崎東が『女生きてます』シリーズや、『喜劇 女は度胸』(69)『喜劇 男は愛嬌』(70)などで描いた、庶民たちの猥雑さの中にあるおかしさや悲しさにも通じるものがある。
 
 この後のシリーズは、そうした毒気を取り除き、山田洋次流の物分かりのいい寅さん像に変わっていった。だからこそ、いまだにシリーズとして続いているのだろう。
 
 それにしても、森川信のおいちゃんは何度見てもいい。その一挙手一投足、一言一言を、惚れ惚れと見てしまう。加えて、渥美清やその他のレギュラー陣もまだ若くはつらつとしており、これを見ると今のシリーズを見るのはやはりつらい。
 
 とはいえ、恩返しの意味も含めて、最後まで見届けると決めてしまったからは、見捨ててしまうわけにもいかず…。見る方もつらいのよ。
 
 さて、こうして、初期の寅さんを見ながら、今の寅さんのことを思う時、最近のジャイアント馬場のプロレスを見る時と似ていると感じる。
 
 どちらも、その全盛期から、衰えを見せられながらも見捨てきれない現在まで、という息の長い付き合い、ふとした瞬間に見せられる往年の片鱗、これ以上老骨をさらさないでくれ、と思う半面、その存在が消えたらやはり寂しいだろうなあと感じるジレンマ…。結構共通点があるのだ。
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『続・男はつらいよ』

2019-09-13 13:05:41 | 男はつらいよ

『続・男はつらいよ』(69)(2009.8.14.)

 寅さんの故郷である葛飾・柴又の隣の金町に引っ越してきた記念と、先日訪れた「JAZZ IN BLUE」という店が、この映画のロケに使われたことを確かめるために再見。

 この映画は、男はつらいよ版の「瞼の母」で、寅(渥美清)と母親のお菊(ミヤコ蝶々)との掛け合いが楽しめる。特にラストシーンが絶品。『こち亀』もそうだが、遠くから眺めていた景色が身近なものになると映画やドラマを見る目が変わることを発見した。

 佐藤オリエが演じたマドンナの夏子が本当にきれいでかわいくて魅力的。その父で、寅が中退した葛飾商業時代の恩師、坪内散歩先生(東野英治郎)の無骨さもいい。

 中でも散歩先生が寅に言う「お前なんかより少し頭がいいばっかりに、お前なんかの何倍もの悪いことをするやつがうじゃうじゃいることだ。こいつは許せん。実に許せんバカモノどもだ」というセリフがしみる。寅はこの映画の時は38歳という設定だったことを今回発見した。

 寅が山崎努の医者に向かって吐く「おっ、てめぇさしずめインテリだな」も意味不明の名セリフ。そして名セリフの白眉は、一度はけんか別れした寅とお菊が一緒にいるのを目撃した夏子が亡き父に語り掛ける、ラストシーンのこの一言。

 「お父さん、寅ちゃんは、お母さんに会っていたのよ。そうなのよ、やっぱりそうだったのよ。お父さん。お父さんがどんな顔をするか見てみたいわ。でも…もう、そのお父さんはいないのね…」。『男はつらいよ』シリーズはまさに名セリフの宝庫だ。

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『横道世之介』

2019-09-13 09:53:52 | 映画いろいろ
今日のNHK BSの映画は沖田修一監督の『横道世之介』(13)
 
 
公開当時、こんなコラムを書いた。
 
二つの時代を交差させて成功した『横道世之介』
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/33095
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『アド・アストラ』ブラッド・ピット記者会見

2019-09-13 08:05:14 | 仕事いろいろ

『アド・アストラ』ブラッド・ピットの記者会見を取材。
「人間の葛藤にスポットを当てられることが映画の魅力」
https://tvfan.kyodo.co.jp/news/topics/1200115

 

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『男はつらいよ』

2019-09-12 12:43:30 | 男はつらいよ

 シリーズ第50作となる『男はつらいよ お帰り 寅さん』が完成したようだ。渥美清不在の中、一体どんな映画になったのかという不安はあるが、寅さんの復活はうれしくもある。というわけで、過去の作品を、見た当時のメモで振り返ってみる。あの頃の自分はこんなことを考えていたのか…。

『男はつらいよ』(69)(2009.9.18.かつしかシンフォニーヒルズ)

 

 地元、葛飾で『男はつらいよ』の第1作を見る。最初に劇場で見たのはもう30年以上も前になる。その後も、テレビやビデオなどで何度も見ているから、中身は細部まで分かっている。にもかかわらず、この面白さはどうだ。まさに笑いと涙が一緒になって押し寄せる喜びに何度も浸ることができた。

 元気な渥美清と森川信(ばかだねー、さくらまくら)、さすがの志村喬(諏訪ふ一郎)と笠智衆(バター)、初々しいてかわいくて美しい倍賞千恵子と好青年の前田吟(さくらに告白するシーンは最高)、津坂匡章時代の秋野太作、そのほか脇の脇の源公の佐藤蛾次郎から工員の石井愃一に至るまで一人一人が輝いている。そしてマドンナの光本幸子は子ども心にも妙に色っぽく映ったものだ。 

 最初はシリーズ化など考えていなかったのだから、「男はつらいよ」の要素がこの一作に凝縮されている。およそ1時間半なのに濃厚でテンポがいい。見終わった後、満足感でいっぱいになる。だらだらとただ長いだけでテンポが悪い最近の映画とは比べるべくもない。

 山本直純の音楽がいまさらながらいい。「スイカの名産地」(基はアメリカ民謡)、「喧嘩辰」(作詞、有近朱実、作曲、関野幾生)など既存の曲の使い方も抜群。「殺したいほど惚れてはいたが、指も触れずに別れたぜ。浪花節だと笑っておくれ、野暮な情けに生きるより、俺は仁義に生きていく」の「喧嘩辰」のオリジナル歌手は北島三郎だったらしい。

 【後記】この日のトークゲストは光本幸子さんだった。この後ほどなくして亡くなったので、今から思えば貴重な時間となった。

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『アド・アストラ』

2019-09-12 08:31:32 | 新作映画を見てみた
 
 
 近未来、地球外生物の探索中に太陽系の彼方に消えた父クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)の行方と謎を追って、息子のロイ(ブラッド・ピット)もまた、宇宙の彼方へと向かう。
 
 宇宙に一人取り残されたジョーンズ、同僚役でドナルド・サザーランドも出ていると聞いて、2人が出演したクリント・イーストウッドの『スペース カウボーイ』(00)を思い浮かべたのだが、さにあらず。宇宙を舞台に、父と子の相克を描いた一種の心理劇だった。
 
 その意味では、『2001年宇宙の旅』(68)をはじめ、最近の『ゼロ・グラビティ』(13)『インターステラー』(14)『ファースト・マン』(18)などの系譜に連なると言ってもいいだろう。
 
 また、監督のジェームズ・グレイによれば、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(79)を意識したとのこと。『ある決闘 セントヘレナの掟』(16)『キングコング: 髑髏島の巨神』(17)と、このところ『地獄の黙示録』を意識して作られた映画が増えてきたのも特徴の一つだ。
 
 とは言え、この映画の見どころは、やはり、映画スターとしてのブラピの存在感とVFXによる宇宙の景観なのかもしれない。
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『ジョン・ウィック:パラベラム』

2019-09-11 08:59:00 | 新作映画を見てみた
『ジョン・ウィック:パラベラム』(19)(2019.9.10.アスミックエース試写室)
 
 
 
 第1作の『ジョン・ウィック』(14)では、愛犬を殺された怒りからロシアン・マフィアを壊滅させ、第2作の『ジョン・ウィック:チャプター2』(17)では、家を爆破された怒りからイタリアン・マフィアを壊滅させた、伝説の殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)。
 
 今回は組織から追われる身となり、さまざまな刺客と壮絶な闘いを繰り広げる。『ミッション:インポッシブル』シリーズのトム・クルーズ=イーサン・ハントも真っ青の、50男キアヌによるノンストップアクションに口あんぐり。すご過ぎて思わず笑ってしまうほどだ。
 
 ただ、イーサンにはとりあえずスパイとしての正義や大義らしきものがあるから、闘いの理由や、必死に生き残ろうとする理由も分かるのだが、ウィックの場合は、己が生き残るためにひたすら相手を殺しまくる。この男の生への激しい執着は一体どこから生じるのだろうと思わされるし、あまり感情移入できないところがある。
 
 ただ、これまでに比べると、イアン・マクシェーン、ランス・レディックに加えて、ハル・ベリー、アンジェリカ・ヒューストン、ローレンス・フィッシュバーン、マーク・ダカスコスらを配すなど、ウィックを囲む脇役たちの扱い方には工夫の跡が見られた。
 
 バトルシーンは、馬や犬との共闘のほか、例えば、長身のバスケットボール選手との闘いは『死亡遊戯』(78)、ガラスの部屋でのダカスコスらとの対決は『燃えよドラゴン』(73)といった具合に、ブルース・リーの影響が強いと感じたし、馬上アクションは千葉真一の『戦国自衛隊』(79)「影の軍団」をほうふつとさせる。
 
 上映後、アクション映画好きの知人が「このシリーズを見ると、キアヌが『デス・ウィッシュ』シリーズのチャールズ・ブロンソン化しているように思える」と語っていた。なるほど。そう思えなくもないか。
 
『ジョン・ウィック』
 
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『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』

2019-09-10 12:47:38 | 映画いろいろ
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(90)(1990.7.23.日比谷映画)

 

 タイムマシンのデロリアンが飛行中落雷に打たれ、ドク(クリストファー・ロイド)は1885年に飛ばされてしまった。ドクを救うため、マーティ(マイケル・J・フォックス)は1955年のドクの協力の下、修理したデロリアンで西部開拓時代の1885年にタイムトラベルする。
 
 バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』(89)という壮大な予告編に続いて、いよいよ完結編の登場である。『PART2』を見た際、「テレビシリーズじゃないんだぞ」と怒りの声を上げたが、あれだけ中途半端なものを見せられたら、どうしたってその先が見たくなるのが人情だ。
 
 だから、そんな文句を言いながらも、結局見てしまう自分のような者をターゲットにした見事な商魂だとも言えるだろう。と、嫌味の一つも言いたくなる。何故って、上映前のCMにしても、やれ『ロボコップ2』『ダイ・ハード2』だ、では何だか悲しくなってくるからだ。とは言え、そんな苦情をもろともせず、大いに楽しい映画を作られて、こちらもそれを喜んで見ているのだからこれでは本末転倒だ。
 
 さて、このシリーズを改めて3作通して考えてみると、一作目はマーティ、二作目は悪役ビフ、そしてこの3はドクというように、タイムマシンを使ってそれぞれの人生に収拾をつけたのだ、とも言えるのだが、これだけ騒がせておいて、最後は「結局未来は白紙だよ」と言われたら、これは一種の詐欺である。
 
 だが、一作目から5年余りの間、これだけ楽しくだまし続けてくれたのだから、そして映画とは、いかに観客をだましていい気持ちにさせるかが勝負なのだから、これはあっぱれな詐欺だったと称賛したい。などと、随分と回りくどい言い方になってしまったが、これは、本意ではない続き物で大いに楽しんでしまった自分に言い訳をしているだけなのだ。
 
All About おすすめ映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f579610ea047636d14bb6a45215031d1
 
スクリーン「さようなら、最後の「午前十時の映画祭」より
 
 
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