共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
「兄弟の歌声は誰にも買えない楽器だ」彼らの曲が聴きたくてたまらなくなる
『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』
共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
「兄弟の歌声は誰にも買えない楽器だ」彼らの曲が聴きたくてたまらなくなる
『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』
『追われる男』(57)
ニコラス・レイが『大砂塵』(54)に続いて撮った西部劇
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b0d3e4e57a69eba37459974a3b7802d7
ジェームズ・キャグニー主演。オフビートな西部劇『追われる男』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/659790433daac58a82bc9c591925c9bc
『戦争と平和』(56)
ロシアの文豪トルストイの名作を米伊合作で映画化した超大作。製作ディノ・デ・ラウレンティス、監督はベテランのキング・ビダー、撮影ジャック・カーディフ、音楽ニーノ・ロータ。
19世紀、ナポレオンの侵攻が迫る帝政時代のロシア。貴族の私生児として生まれた理想主義者の青年ピエール(ヘンリー・フォンダ)、伯爵家の美しい令嬢ナターシャ(オードリー・ヘプバーン)、ピエールの親友アンドレイ(メル・ファーラー)を中心に、さまざまな人間模様を壮大なスケールで描く。
『戦争と平和』といえば、テレビの「日曜洋画劇場』で、1974年の2月から3月にかけて3週にわたって放送されたソ連版(65~67)を先に見ていたので、そちらの印象の方が強い。
とはいえ、当時はまだ中学生だったので、おぼろげな前週の記憶を、頭の中でつなぎ合わせて見るのはつらかったし、何しろ長くて閉口させられた覚えがある。
監督・脚本・ピエール役はセルゲーイ・ボンダルチューク、ナターシャはリュドミラ・サベーリエワ アンドレイはビャチェスラフ・チーホノフという布陣だった。
「FIFA ワールドカップ カタール 2022」で、日本がドイツに歴史的な勝利を収めた。こういう大番狂わせのことを“ジャイアントキリング”と言うらしい。ところで、サッカーを扱った映画は結構ある。
サッカー映画を見よう!
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/17883c94a61344bae510a275120a72f5
『アーリーマン ダグと仲間のキックオフ!』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5b546bf549df5a7f0aab62168a92c7be
『ミスタームーンライト 1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢』(2022.11.22.オンライン試写)
1966年、ザ・ビートルズ、伝説の日本武道館公演はどのようにして実現したのか。武道館公演の舞台裏で活躍した人たちの貴重な証言と、当時の映像とともに振り返る。彼らはビートルズに対して、何を思い、何に突き動かされたのか。
また、50人以上の各界著名人の証言や思いを通して、ビートルズがどのようにして日本で人気を得たのか。そして、今も彼らが愛される理由とは何なのか、などを検証していく。映画のキャッチコピーは「日本における新たなザ・ビートルズ史を描くドキュメンタリー」だ。
「ビートルズの日本での仕掛人」と言われる、東芝音楽工業のディレクター・高嶋弘之(高島忠夫の弟で、高嶋ちさ子の父)、東芝音楽工業の石坂範一郎(先年亡くなった息子の敬一も音楽ディレクター)、この人がいなければ来日実現はなかったと言われる協同企画エージェンシーの永島達司、その部下の石黒良策、小倉禎子、最初にビートルズを取材した元『ミュージック・ライフ』の星加ルミ子、音楽評論家の安倍寧、湯川れい子、藤本国彦、朝妻一郎、日本テレビ・ディレクターの佐藤孝吉、ホリプロ創業者の堀威夫、チューリップの財津和夫ら、興味深い人物が次々に証言する。
ビートルズ来日にまつわる人々のエピソードは、『ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち』(佐藤剛)や、『ビートルズを呼んだ男-伝説の呼び屋・永島達司の生涯』(野地秩嘉)といった本に詳しいが、活字ではなく、彼らの肉声で証言を聴くと、とても生々しいものとして感じられる。
そして、ビートルズの来日は、必然と偶然が重なり合って起きた一つの大事件であったことがよく分かる。
羽田空港からビートルズを乗せたキャデラックは、パトカーに囲まれながら台風一過の早朝に首都高速道路を疾走していく。そこに、突然「ミスター・ムーンライト」と叫ぶ、ジョン・レノンの圧倒的な歌声が響き渡る。
これは日本テレビで放送された武道館公演のオープニング映像で、見る者に強烈なインパクトを残した。多分、この映画のタイトルは、そこから取られていると思われるが、肝心の「ミスター・ムーンライト」は一度も流れない。
「ひよっこ」と『抱きしめたい』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7566aeb190ed2bfc0cba592de606a630
『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/46c0a824ddddad66b44614ba22129685
『底抜け大学教授』(63)
変身前後のギャップが見どころ
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/bfab7199d35ba62fb72f5e3fb9744b99
底抜けシリーズ2
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/430dd7c84afcfa4a45871fbd31629e46
『グロリア』(80)(1981.6.22.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ce00b8e86a1ad95fef85c884687b8cf6
『チャンス』(79)
言葉の意味は、聞く側の解釈によっていかようにも変化する。だから、それが一国の政治に関わるようなことなら、よほど選んで発言しなければならないだろう。そこにはさまざまな思惑が含まれ、本音と建前がある。また、影響力のある人物が発言すれば、それが正しいこととして解釈されたりもする。
この映画は、そんな状況を、見事に皮肉っている。言葉の勘違いと言ってしまえばそれまでだが、実際にこの映画のようなことがあれば(必ずしも起きないとは言えない)、それは勘違いという一言では済まされないだろう。
何しろ、政治に全く関係のない一介の庭師が大統領に対して影響力を持ち、やがてはその対抗馬にまでされてしまうのだから。それも本人の意思ではなく、勝手に勘違いした周りが、そう仕向けているのだから怖い。
だから、見ながら笑った後で、ふと「おや?」という気持ちになる。これは笑っているだけでは済まないぞという感じだ。
また、テレビばかりを見て暮らしてきた主人公のチャンスのズッコケぶりも、よく考えたら笑うに笑えない。それは、チャンスや彼の周りの人々のどこかに、自分を見る思いがするからなのかもしれない。
チャップリンの映画もそうだが、優れた喜劇映画に風刺は不可欠なのだ。その意味では、ハル・アシュビー監督大健闘の一作である。
チャンス役のピーター・セラーズがお見事。あの「ピンク・パンサー」シリーズのクルーゾー警部とは打って変わった抑えた演技を見せる。改めてその芸達者ぶりを知らされ、亡くなったことが惜しまれた。