何かを学ぶ上で最も難しいことの1つは、練習方法を理解することです。あるいは、練習するとはどういうことか。多くの場合、繰り返しが重要です。しかし、すべての喜びを吸い取るようなものは望ましくありません。今年スケッチブッキングを始めた時、何かがカチッと音を立てました。今は5冊の本を読み終え、6冊目を読み始めたところです。スケッチブックは、考え方の転換につながりました。練習をしようとするのではなく、走り書きという練習をしていました。本で時間を潰すことは、目的を達成するための手段ではなく、それ自体が何かになりました。スケッチブックをどこにでも持ち歩くようになりました。私は自分の朝食、ガーディアンのオフィスの果物、電車に乗っている他の人々を走り書きしました。スケッチブックをつけていると、絵を描けるようになるための練習をしているのではないと思います。・・・・・・確かにスケッチには、日記の要素もあるしメモの要素もあるよね。スケッチを繰り返しても特段絵がうまくなるわけでも無いけど「気づき」ってことに敏感になるのがいいね。僕もスケッチブックを入れた絵の道具かばんを持ち歩いている。みんな同じなんだね。
絵画教室が年末で
お休みになりました
描いていた羊が
牛だと言われて終わりました
言われなくとも
牛でした
羊になーれと姑息にも
縮れっ毛を描き入れましたが
牛のマンマでした
さてさて
どうやって羊に生まれ変わらせるか
年をまたいでの課題です
牛にニューモを振りかけたら
上手くいくのかな
もーダメってか