薫的神社の境内に以蔵が最後を過ごした牢屋が残っていた。平井収二郎も弘瀬健太もここに投獄されていた。いまでは、ひっそりと佇んでいるという風情か。よく残っていたと感心。そしたら今日、あの龍馬の草案の手紙の清書した分の腹案が大阪で見つかったと聞いた。まさに「龍馬伝」効果だな。草案だ、腹案だといろいろかいている人だから僕が言うようにアイデアノートがどこかにあるのではないだろうか。これからもっといろいろな資料がでてきそうな気がする。
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