フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

治った

2014-06-09 07:35:42 | Weblog
この回復力の高さは普段の生活の賜物か。それとも病状がたいしたことなかったのか。菌が弱かったのか。吐いたことによって熱が出た。熱があるから体がだるく一日中寝てた。OS1だけ飲んで。夕方マルちゃんと散歩に行く時もフラフラしてた。ここで歩いたのがよかたのか腹になんにも入れなかったのがよかったのかデブで基礎体力があったのがよかったのか散歩から帰ってくるとなんだか元気を取り戻せそうな予感がした。体に力が入ると言うか。そこで登山用のエネルギージェルを飲んでみるとなんか回復って感じ。それでも夕食は摂らずに早くから寝る。今朝は快調。いったい何がどうなってたんだろう。よくわからないが治った。基礎体力があるって凄いね。
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屁もできん

2014-06-08 06:43:40 | Weblog
「お世話になりました。ありがとうございました」という気分で布団に転がっていた。昨日寝てから急にムカムカとしてきて吐きそうになった。それでも吐くのは面倒だから下から出してこのムカムカを解消しようとトイレに立ったらいきなりの水便。「なんじゃこりゃ」と考えてみるにここ2~3日前から肩が凝って頭が痛かった。それがずるずるときていつのまにか風邪菌が胃腸にはいってたみたい。それからムカムカは続いていたけどなるべく嘔吐は避けたほうがいいとオオクラ先生がいってたことを思い出し1時間ごとにトイレに通う。腹は特別痛いわけではなしときおりオナラがしたくなる前兆があるのみ。ここで一発やれば爽快なんだろうけどこわくてできない。あ~あ屁も出来ないと横たわる。ムカムカは取れない。それで1時間ごとにトイレ。朝方5時くらいだったかムカムカが頂点に達し大量に嘔吐。それで幾分か気分が良くなりマルちゃんと散歩を済ませてきた。帰った途端水便。当面オナラはこわい。やっぱり弱ってんだな。以前は一回下痢したら済んでたのに。あっ、きたーまたきたー。
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日々を編む

2014-06-07 07:29:47 | Weblog
昨日BSで「舟を編む」をやっていてまた見た。2回目かな。何度見ても面白かった。とくに「香具矢さん、いつもありがとうございます」って馬締クンが言うシーンが好きですね
日常を淡々とそれなりに感謝し努力して生きていくってことがどんなに素晴らしいことか共感できます。それにしてもチャンバラと日活アクション育ちの僕がどういう心境の変化なんでしょう。
この頃、アクションなんて見たくないですね。チャンバラもそれほどですね。今はやりの刑事ものとか公安ものとかも興味ないです。ただ普通の人がその日常を普通の人が出来る範囲の努力でそれなりに過ごしていてそれなりのドラマがあるってほうに惹かれます。この映画でもマジメくんも現実にいそうでいない。いてないそうでいる。という設定が面白く2回目となると細かいところの作者の意図に気づいて2度おいしいでした。西岡クンとミエコさんが酔っ払ってマジメの部屋で寝てしまうシーン。隣の部屋で寝ようとマジメくんが毛布をもって猫を抱いて出てくると帰ってきた香具矢とばったり。「煮物まかされたの味見してみて」・・・「はい・・・」「じゃぁ上の部屋で食べましょうか」と下宿の階段を登る二人。香具矢が先にマジメくんの姿が消えようとする瞬間に柱時計が0時を告げてボーンボーンと鳴り出す。ただこれだけのシーンなんだけど。受け手の想像で言えばボーンボーンというのが祝福でもあり二人の記念日なんだと思わせる演出が憎いね。この映画は何度見ても面白いだろう。なぜか分かるようで分からないけど言葉の海に漕ぎ出すということは何度見てもあきないということだろうね。
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杏子が落ちていた

2014-06-06 08:47:34 | Weblog




    季節

畑に行ったら杏の実が落ちていた。
雨あがり
草は濡れて光っていた
畝の間を飛び越えて杏の木の下に
かがんだ
黄色く熟れた杏子の実
ひとつふたつ拾っていく
こいつはそのまま食べて黒ずんだ
ところがあるものはジャムにしよう
また雨がふりだした
今日は鳥もやってこない
ここらで野良仕事はやめて
杏子の実を持って帰った。
いつもは下の道路を通るトラックも
今日は少ない
杏子の熟れる季節なのかと
胸のうちで繰り返した。
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ゆるキャラで中国改革

2014-06-05 07:57:15 | Weblog
昨日あの天安門虐殺事件から25年目でした。民主化運動して虐殺された学生達やデモ参加者など多くの犠牲を出しておきながら中国の抑圧政策はちっとも変わっていません。体制は揺るいではいるのだろうが詳しくは伝わってこない。いろいろ水面下で活動している人はいるのだろが武力弾圧の前になす術もないのが現状だ。このまま中国が世界の嫌われ者で大国として国際社会に君臨するというなら世界の迷惑にほかならない。そこでゆるキャラで中国民主化というのはどうだろう。民主クンとかこれはダイレクトすぎると当局から撃たれるか。マネッシーじゃぁダメか天安クンもダメだし尖閣クンもいけないか。毛沢山なんていけるかも。中国四千年悠久の歴史といえども虐殺と略奪と植民地の歴史でしかないから新しい価値観なんて創造できないのかもしれないが癒し系のゆるキャラならその人のものが羨ましいとか欲しいとかの気持ちを癒してくれるからそれだけでも少しは体制に楔を打ち込むことができるよ。そうだなどんなユルキャラがいかな。大福ちゃんというのはどうだろう。彼らは何と言おうと日本に憧れているのだから日本発というのがいいんだよね。物言わぬ餅を見て癒されて中国に大福をもたらすと世界も福となる。民主化の活動家にはぜひ使ってもらいたい「ゆるキャラ大作戦」でした。
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弘法も筆

2014-06-04 06:58:37 | Weblog
弘法筆を選ばずとか弘法も筆の誤りとか筆と言えば弘法大師なんだけど筆は大事にしたんだよというニュアンスが伝わってくる。職人にとって道具は命。と同じくらい書を書く人にとっても筆は大事だったんでしょうね。職人と芸術家の線引きは難しいところがあるからどちらも道具を大事にするということに変わりはないんでしょう。かくいう私も絵筆は大事にしています。それほどありませんがまた高価なものもありませんが使い終われば置く洗って乾かしてとけっこうこまめです。昨日絵の具を買い足すために訪れた文具店でナイロン筆を置いてある下のほうに何とコリンスキーがあるのを発見。「コリンスキーや」とオドロキ、絵の具をやめてコリンスキーを買う。これが有名な画家が使う筆なのかと感無量に見つめ想像の翼を広げる。ターナーでもなくデューラーでもなく野村さんでも永山さんでもなくなぜかバルチュスのアトリエを思い浮かべた。油絵だったのにね。いま東京で展覧会が開かれてるからかな。一本の筆から夢が広がるっていいじゃないか。筆も一流紙も一流、絵の具も一流のアーチスト系を使用していよいよ職人の雰囲気が漂ってきたけどあと腕が見習いなのが珠に瑕だな。まぁ気にしないか。コリンスキー、人を選ばずだ。
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かぶれ

2014-06-03 08:06:48 | Weblog
配偶者控除をなくしてとの話の中で竹中の平ちゃんが「若い日本女性に聞くとメイドさんが欲しいと言っている」とかいって「女性の働きやすい環境作り」にこの案を安倍ちゃんに進言したと言うじゃない。これってアメリカから日本人もメイドを持てとまぁ世間話くらいで言われたことらしい。白人至上主義の平チャンは早速その説にとびついて白人足らん振る舞いをしてるそうだ。自分でそうするのは勝手だけど日本の金で日本を巻き込むことだけはやめてくれよな。なんでこんな「かぶれ」を政府は雇ってんだろう。小泉内閣を駄目にした張本人なのに。彼の経済政策で日本は力を落としTPPへ進まざるをえなかったんだから。すべて彼の「かぶれ」政策のおかげでさ。いつまで白人白人って言ってるんだろう。この原因は憲法にあるという人もいるが憲法九十条あたりは改正しないと「かぶれ」集団にいいようにされるかもね
もう一度おさらい、日本は現時点で世界一の債権国である。どうして彼らの制度に社会に「かぶれ」なければならないんだろう。債権国になれたのは社会も制度も文化も優れていたから。この自覚がないのかな。へんな覇気はいらないけれど「和をもって貴しとなす」という日本人が初めて作った憲法の真髄を忘れてはならない。ゆめゆめ「かぶれ」は百害あって一利なしだから気をつけよう。
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ホワイトホース

2014-06-02 17:21:36 | Weblog
カナダのユーコン川の辺にあるアウトドアのメッカの町ホワイトホースから1時間ほどはいった森の中でキャビンを建て26匹の犬と暮らしている犬橇師(マッシャー)ほんだ・ゆかさん。こんど「犬と走る」だったかな本を出版することになって新聞の著者に聞くというコーナーに出てた。腕が太く目がきらきらしていて久しぶりに魅力的な女性が出現と思った。単身カナダに乗り込んでの犬橇師見習いとしての悪戦苦闘の日々。これってアウトドアだからね生活そのものが。女性って偉いなと感心。それに引き換え男の方は誰か魅力的なヤツはいたっけな?誰もいない。情けない。まずほんださんの腕の半分もない男がいくらマスコミが持ち上げてもしょせんはお笑いにケガハエタくらいのレベルでしょう。そんでもってすることがないから「ストーカー」でもやろうってくらいの根性だものこりゃかなわないよな。女性はだんだんと世界基準になっていく。男はどんどんローカルへと沈む。これが世界の傾向といえばそれまでだがこれでいいのかな。生活に根付いた逞しさ、これが昨今の男にはないようで。ナンちゃー役にたちませんけんど男の端くれとして爺さんもガンバロウ。
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ごっくん鳥

2014-06-01 07:15:12 | Weblog
「あっ、ごっくんどり」とテレビのニュース番組を見ながら言った。オレオレ詐欺防止キャンペーンの街角でチラシをもらってる街の人の一人であったが美人だからか一人だけズームされていた。もう何年も会ってないから懐かしかった。ズームと言えば余談だが2~3年前剣山で白人の女の人が単独で登ってきて写真撮っていたので「撮ってあげようか」と声をかけたらにこっと笑って何といったのか忘れたけれど撮ることになって「アップでいく?」って聞いたらそのアップが白人には理解できなかった。怪訝そうな顔を覚えているそのときズームアップって言わなきゃいけなかったんだと反省。「頂上はこの道でいいのか」と聞かれたので「うんこの道まっすぐさ」といって別れた。そのときからズームって言葉を使うようにしている。アップって世界共通語だと思ってたのに。さて、ごっくんどり、予兆というのか次の日、バジルと昼前に市場に行こうということになって出かけたら市場の入り口の処でごっくんどりとバッタリ。いやぁ、これには驚いたなぁ。濡れ落葉のように近くにごっくんどりの亭主もいて近況を話し合いまたこんど山へ行こうということになった。これってなんなんでしょうね。会いたいと思ってる人とは全くの偶然もないのに。よけよう、さけようと思ってると蜘蛛の巣めがけて飛び込んでいく小さな虫のようにその網に捕らえられるなんて。おそるべし、ごっくんどり。
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