みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

正弦曲線

2009年11月22日 | 
自分は弦楽器の音色がとても好き。
なので、この音楽ブログに、「弦」にまつわるあれこれを集めるのは、理にかなったことでしょう。
現代数学の「超弦理論」のお次は、古典数学の「正弦」へ。
堀江敏幸氏のエッセイに「正弦」を語った興味深いエッセイがあったので、メモります。
氏は、芥川賞作家で、クラシック音楽への造詣も深い方ですね。

堀江敏幸「正弦曲線」 優雅な袋小路-正弦曲線としての生
 三角関数を習ったとき、そのなんたるかを理解するより先に、サイン、コサイン、タンジェント、という魔法のような言葉の響きに私はまず魅了された。カタカナ表記では、三文字、四文字、六文字と順に語数が増えていく。最初の二つの「ン」のやわらかい脚韻が最後にぴたりと締まる音のならびの、切れ味とリズム。直角三角形の、直角ではない角のひとつを基準にして辺と辺の割合を考える際の視線の飛ばし方の不思議が、三つの呪文にさらなる力を与えていたといっても過言ではない。
 サイン、コサイン、タンジェント。
 巨人、大砲、卵焼き。
 ひとつまちがうと、一気に日本の1960年代に戻ってしまいそうだが、しかしさすがに歴史の重みからいったら比べものにならない前者には、そのような、ふわふわもちもちした物語の介入をきっぱりと拒む、端正な抽象化の匂いがある。そればかりではない。サインは正弦、コサインは余弦、タンジェントは正接と、いずれも漢字2文字熟語からなるうつくしいべつの顔を持っていたのだ。カタカナの音のつらなりがどんなに心地よくとも、正弦という字面のすばらしさはまことに捨てがたかった。
・・・中略・・・
日々を生きるとは、体内のどこかに埋め込まれたオシロスコープで、つねにこの波形を調べることではないだろうか。なにをやっても一定の振幅で収まってしまうのをふがいなく思わず、むしろその窮屈さに可能性を見いだし、夢想をゆだねてみること。正弦曲線とは、つまり、優雅な袋小路なのだ。


盲点だったと思う。「弦」で接していた音楽と数学。
なんて優雅なサイン、コサイン、タンジェント!
ただの弦ではなく「正しい弦」ですぞ! 「正弦」の言葉の奥に広がる魅惑の世界。
芸術=制約の中での自己表現?に収束する最後の締めの一文も、ゾクッとする。

物静かで明晰な思索は、読んでて、うっとり。
こんな一文を読むと、堀江氏のファンになってしまうな・・・。(と言いつつ、この本、読み切れてないけど・・・)
弦の響きに親しむ時、また新たな倍音が加わりそう。

卑近な例で申し訳ないですが、最近、吉野屋の注文で、「なみ、たまご、けんちん」という3語パターンが定番になっていたので、ささやかに縁を感じつつ、格調高い「サイン、コサイン、タンジェント」から見ると、海賊版の海賊版の海賊版ぐらいに情けないですね。(笑)

正弦曲線
堀江 敏幸
中央公論新社

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コメント (2)
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