久しぶりに俳句。依然、収集熱は健在ですね。
冬は冴え渡る空に、星空がきれいな季節。と言うことで、
好きなんだな。この歌の世界観は。高校の頃に知って以来、お気に入りの歌。だからかもしれないけれど、次の句を少し前の俳句番組で知って、
これは、良いなあと思った。「真砂なす」は静止しているのだけど、「冬星」の句は前に進んでいる。
何かに頼ることからは、思い上がりのない謙虚な姿が浮かび上がってくるし、その頼るものが「星」である。寒空の下、冬星を恃みに思いつつ、てくてく歩いてゆく男、一人ありけり。ん~、ささやかにロマンを感じませんか?
ちなみに、この会の選者の正木ゆう子さんも曰く、この「ひとつ」の星はシリウスで、
「シリウス」と言えば、遊佐さんの「シリウス」。
「ひとつ」と言えば、遊佐さんの「ONE」。
どちらもとても好きな曲。
と言う事で、歳を経るごとに、好きなものが絡み合って、感動(←ちょっとおおげさ)は深まってゆくみたい。
結局は、こういうものだと思う。人生は。と語れるほどの人生経験は積んでいないのだけど・・・。多分、そうなる予感はあるんだけど・・・。
万事、絶望的になることもないし、さりとて楽観的にもなれないけれど、少しずつ前に進んでいけば、道はほのかに照らされて、また、先に進んでいけるよ。きっと。大丈夫。と言うメッセージが、この句から伝わってこないかな?
菊の姿を、よく見ているなと思う。よく見ること=愛情というのは大げさ?。多くを語らなくとも、作者の菊の花への想いが伝わってくる。
やつれ、衰えていくものへ思いを寄せること、哀惜の念、美しいと思う。
言葉をぎりぎりに削ぎ落とす潔さ。見事に575に落とし込む技。余韻を醸しつつ、心のありようを表現すること。本当に見事だと思う。改めて、俳句は究極の詩だなあと思う。
冬は冴え渡る空に、星空がきれいな季節。と言うことで、
真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり (正岡子規) |
好きなんだな。この歌の世界観は。高校の頃に知って以来、お気に入りの歌。だからかもしれないけれど、次の句を少し前の俳句番組で知って、
冬星のひとつを恃みつつあゆむ (木下夕爾) |
これは、良いなあと思った。「真砂なす」は静止しているのだけど、「冬星」の句は前に進んでいる。
何かに頼ることからは、思い上がりのない謙虚な姿が浮かび上がってくるし、その頼るものが「星」である。寒空の下、冬星を恃みに思いつつ、てくてく歩いてゆく男、一人ありけり。ん~、ささやかにロマンを感じませんか?
ちなみに、この会の選者の正木ゆう子さんも曰く、この「ひとつ」の星はシリウスで、
「シリウス」と言えば、遊佐さんの「シリウス」。
「ひとつ」と言えば、遊佐さんの「ONE」。
どちらもとても好きな曲。
と言う事で、歳を経るごとに、好きなものが絡み合って、感動(←ちょっとおおげさ)は深まってゆくみたい。
行けばまたその先少し雪明り (船橋市 白石勉) |
結局は、こういうものだと思う。人生は。と語れるほどの人生経験は積んでいないのだけど・・・。多分、そうなる予感はあるんだけど・・・。
万事、絶望的になることもないし、さりとて楽観的にもなれないけれど、少しずつ前に進んでいけば、道はほのかに照らされて、また、先に進んでいけるよ。きっと。大丈夫。と言うメッセージが、この句から伝わってこないかな?
残菊に真直なる茎なかりけり (詠み人知らず) |
菊の姿を、よく見ているなと思う。よく見ること=愛情というのは大げさ?。多くを語らなくとも、作者の菊の花への想いが伝わってくる。
やつれ、衰えていくものへ思いを寄せること、哀惜の念、美しいと思う。
言葉をぎりぎりに削ぎ落とす潔さ。見事に575に落とし込む技。余韻を醸しつつ、心のありようを表現すること。本当に見事だと思う。改めて、俳句は究極の詩だなあと思う。
正岡子規の俳句を見て、やはり母を思い出しましたよ
母が好きでテレビでもよく観ていました
母の実家が松山でもあるのです
俳句 ほんとうに深いですね
そのうち、つっつさんのブログでも俳句の記事が
楽しめる日がやって来るかな?
松山は、ほんとうに俳句の盛んな土地のようですね。
僕の母の実家は西条なので、少しお隣ですね。
どこか異次元の世界から見ると、我々一人一人も、
真砂なす星の一つかもしれない、などと思ったりもします。