1年ぶりぐらいに、モーツァルトのソナタK.331(第1楽章)を弾いている。大好きなのだ。
最初にとりかかったのが、2002年の2月なので3年越し。第6変奏の左手で、どう練習しても、うまくいかない箇所があり、チャレンジする度に、跳ね返されていた。
1年ぶりだったけれど、数日、弾いたら、ほぼ1年前の状態に戻って、嬉しいことに、その難関の左手が、けっこう進歩しているのに驚く。粘りが出てきて、ついてゆける感じなんですね。
牛歩というよりも、恐らく、蝸牛よりずっと遅いスピード。でも、進歩している。ピアノを弾いてて嬉しい瞬間。
30も過ぎてしまうと、本当に弾けないところは、1ヶ月、2ヶ月の練習で、どうにかなるものではない。1年、2年の単位なんだなぁ。チェルニーやハノンのような、確実な上達のメソッドが存在するおかげで、こういう喜びが感じられる。幸せなことだ。
話は変わって、日経新聞俳壇(7/3)
青空といふもの知らず蝸牛
(船橋 白石 勉)
この句はいい。大きな空と、小さな蝸牛の対比、乾いているものと、潤っているものの対比がうまい。恐らく、人間は誰しも蝸牛のような存在で、自分には窺い知ることのない、大きな存在、世界があることを暗示している。青空に縁が無い中で、けなげに頑張る蝸牛的存在に対して、作者の冷静さを失わない中で、さりげないいたわりの気持ちも感じられる。たった17文字で、よくもまぁ、俳句の奥深いこと。
でも、最近、蝸牛君をあまり見ないのだけど・・・。彼等、元気にしてるんだろうか?
最初にとりかかったのが、2002年の2月なので3年越し。第6変奏の左手で、どう練習しても、うまくいかない箇所があり、チャレンジする度に、跳ね返されていた。
1年ぶりだったけれど、数日、弾いたら、ほぼ1年前の状態に戻って、嬉しいことに、その難関の左手が、けっこう進歩しているのに驚く。粘りが出てきて、ついてゆける感じなんですね。
牛歩というよりも、恐らく、蝸牛よりずっと遅いスピード。でも、進歩している。ピアノを弾いてて嬉しい瞬間。
30も過ぎてしまうと、本当に弾けないところは、1ヶ月、2ヶ月の練習で、どうにかなるものではない。1年、2年の単位なんだなぁ。チェルニーやハノンのような、確実な上達のメソッドが存在するおかげで、こういう喜びが感じられる。幸せなことだ。
話は変わって、日経新聞俳壇(7/3)
青空といふもの知らず蝸牛
(船橋 白石 勉)
この句はいい。大きな空と、小さな蝸牛の対比、乾いているものと、潤っているものの対比がうまい。恐らく、人間は誰しも蝸牛のような存在で、自分には窺い知ることのない、大きな存在、世界があることを暗示している。青空に縁が無い中で、けなげに頑張る蝸牛的存在に対して、作者の冷静さを失わない中で、さりげないいたわりの気持ちも感じられる。たった17文字で、よくもまぁ、俳句の奥深いこと。
でも、最近、蝸牛君をあまり見ないのだけど・・・。彼等、元気にしてるんだろうか?
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