花見で「新芽の田楽」を召し上がられた方も多いと思います。
この新芽、「山椒の新芽」でしたね、
この山椒、今花が咲いています。
田楽は知っていても「山椒の花」は、
始めての方もいらっしゃるのかも。
ここまで花が咲いていますと、
ハチやアブなど虫たちが、
たかるほど、集まっています。
花見で「新芽の田楽」を召し上がられた方も多いと思います。
この新芽、「山椒の新芽」でしたね、
この山椒、今花が咲いています。
田楽は知っていても「山椒の花」は、
始めての方もいらっしゃるのかも。
ここまで花が咲いていますと、
ハチやアブなど虫たちが、
たかるほど、集まっています。
今日も5月中旬の気温、
予告どおり一気に「牡丹開花」しました。
昨日は、花粉まで開っていませんでしたが、
みれは満開です。
「蕾は」まだ、7つありますから、続いて楽しませてくれるのでしょう、
花壇のほうに、品種の違うもう少し良い牡丹が2つ蕾を
見せてくれていますが、
こちらは、いま少し時間がかかりそうです。
暖かい日でした。
この花、桜の終りころには蕾を脹らませて、
小さな花弁の状態で待機しているのです、
そして、ある日突、然花びらを伸ばし、色ずく花。
庭のものは、樹高3.0m、15年来のものです。
花びらを広げ始めたころ色々な
キズ・虫などにやられるのか、近づくと、
さほど綺麗なものでは有りませんが、
遠めに綺麗。
季節の花です。
日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄氏が
米ワシントンD.C.へ「サクラ(ソメイヨシノ)を贈った際」、
1915年にその返礼として贈られた木、
当初は「アメリカハナミズキ」と呼ばれて、丁度100年になり、
今、国内のどの地域にも育っているようです。
いつの間にか、「日本の定番樹木」に成りました。
当市には「勝山城博物館」という「お城」があり、
当地出身の立志伝中の人、多田清氏が私財で建てたもの。
勝山は小笠原公の統治による城下町ですが、
幕藩時代には天守の有るお城は建てられなかった。
そのことから、「全く史実に無関係の観光城がこの地に立ていられた」。
この会、幾度か入会を勧められたのでしたが、
維新まで、ご先祖は勝山藩中級の藩士、
父から「歴史に何の関係も無い城なんて・・・」と
良く聞かされたものでした。
この城、もう30年にもなり今、「公益法人」として、
実績も出来、色々な企画がされている。
私も知人に進められ、「昨年後援会員」になって2年目。
その総会でした。
その後の「記念後援会」、これがわたしの関心。
5月にこの会の研修一泊旅行があり「世界遺産めぐりと川越散策」、
ものすごい距離のバスの旅、「富岡製糸場」を見るのです。
この旅の予習みたいなテーマー
「世界へとどけ勝山シルク、勝山製糸会社と富岡製糸場」。
勝山市の今、恐竜王国といわれる前は繊維王国といわれる時代があり、
市民の半分くらいが何らかのかたちで繊維にかかわっていたこと
も有る町。
当然、生糸振興では国内で早く、「勝山製糸会社」が設立されていた、
この施設と富岡製糸場の関係が解説され、
興味の有る講演でありました。
勝山市の古地図と製糸会社平面図
「勝山城博物館」近辺
かすかに荒島岳が見える。