起床の午前5時は真っ暗、そして寒い、
禅堂に到着すると「ようやく日の出」、まだ薄明かりの朝、
6時前にすばやく全員座に着いた、
女性2人を含む6人。
すぐに「身の構え」の指導、そして正式「スタート小鐘3つ」。
この後、老師は退席され、午前6時の「時報の釣鐘つき」、
般若心経の読経と釣鐘の音か聞こえる。
後は静寂の世界。
微かに早起きのトビの鳴き声が聞こえるのみ。
座中の老師のおはなし、
「身を整え、静かに深い呼吸を繰り返す」、それだけで良いのです。
「平素は、身を調えること、深い呼吸をすることを忘れているでしょう」、
それでよいのです。
坐禅という中に有るとき、ある日突然
「思いのめぐり合い」が有るでしょう。
そのとき「初めて生きている事の歓びを感ずるのです、
日常生活の中で、皆が仲良く生きること」
釈迦無二仏陀が望まれる世界です。
その一端を担える私になる、それが坐禅という今の姿です。
それに気がつくのは、きっかけがないと気がつきません、
すなわち、今日までの生き様での善行、この積み上げが
きっかけになるのです。
善行とは「自分以外の人が喜ぶ行い」、
そのとき「私が存在しない、相手が優先する」
これの繰り返し
それを「得を積む」といいます。
釈迦無二仏陀は
「今の世に因果を知らず、ごっぽうをあきらめず、三世を知らず、
善悪をわきまえず、邪険のともがらに遇すべからず」と説かれた。
(これの実施により、其処から貴方の品格を高める道が開かれる)
老師の坐蒲。
しばらくの静寂の後、
「今か5分間、自分を見失わないよう身のかまえ、を見直しなさい」
かまえを見直し深い呼吸に入りなおす。
それを「信心雑楽の坐」といいます、
もうしばらく座りましょう」
で終わった。
最期にお茶を頂いた時、
「本日の皆様の座は様になっていました」との
お褒め?は嬉しい朝でしたね。