日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

主君は

2007年12月15日 | 生活・ニュース


昨夜は浪士の討ち入りの日。およそ300年前のこの日、江戸城松の廊下の刃傷から大よそ2年になる雪の夜、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り主君の仇を討った。この時期になると忠臣蔵物語としてどこかのTVで放送される。

浪士でなく義士が由緒ある言い方、雪は脚色で降らせたので本当は青空だったなどドラマ以外でもドラマが展開される。日本人の1つの時代の姿であったことは間違いない。

多くは録を離れボランティアにいそしむ義士たちが忘年会と言い訳しながらある会社の保養施設へ討ち入った。義士とは節義をかたく守る人で節義とは節操を守り正道をふみ行うことをいう。節義の有無は定かでないがボランティアに情熱を注いでいるところは通ずるところがあろう。節操ある忘年会だったと記録しておく。

選挙で当選すれば言ったことは忘れ次の選挙のための策を練り、公約違反を問われれば信じた者が悪いかの様に平気な顔で答える。議員諸氏は自分たちの主君が国民有権者であることを常識として持っていない人物のようだ。赤穂義士の行動に賛否はあるが、いまこの国の主権者は国民であることを義士の姿から学び取って欲しい。

祖母は浪曲が好きだった。47士の名前はそらんじその幾人かについては浪曲師の真似は出来ないがその活躍の話しを良く聞かされた。ラジオと読み物で自分流に解釈し組み立てていたようだ。この時期になると目をつむり縁側で義士の姿を語っていた祖母の姿を思い出す。

(写真:討ち入り翌朝、日の出に映える保養所)
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