
足あとに重なった足あと、踏み絞めた足あと、すらすように進んだ足あと、左右にふれた足あと、大股小股など人の通った道筋が面白い。履物の裏の形でいろんな人が残した足あと、どんな思索をしながらここを通ってどこへ往ったのだろう。
「才能の或る人間が生きるのはなんでもないことなんだ。宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、アイツは強かったんだから」は山口 瞳著者「江分利満氏の優雅な生活」の一節。続けて「本当にえらいのは、一生懸命生きてる奴だよ」と言わせている。
この一生懸命生きるためには努力が要る。その努力によって作られた経験や能力が発揮されたとき努力が報われたというのだろうか。その道のりは遠く険しいというのが社会一般の常識になっている。
困ったときに名言や格言などに学べという。それは、人生と社会の橋渡しとなる、心を動かされると識者はいう。本当に困ったときこれらに触れる余裕や時間があるだろうか。またそのことに気づくだろうか。むしろ平常のとき省みる糧として格言などは生きると考える。
平凡な市民が努力して残した足あと、その評価は家族や子どもたち、孫や後輩が喜び引き継ぎながら生かされていく。
ことわざに「行いの美しい者は姿も麗しい」とある。その道一筋に長年関わった人、人のために尽くした人は顔に形に人間的な良さが出るという表現に用いる。それは人として恥かしくない生き方をした証だ。
年金での生活。大きな希望は持たないが「前向きに生きる。そのために何かを続ける」ことをモットーに日々を送ろう。それがどこへたどり着くかは分からないが。
(写真:いくつもの途を感じさせた足あと)