離れたとこからも小さな実の色でその果物は確認できた。
長楕円で緑濃い葉が覆い茂る木に金柑が鈴なり。金柑は子どものころ遊んだ丸いマーブルほどの大きさ、もう熟しているのだろうか黄金色をしている。日に当たるとその色は1段と映える。この背の低い木のどこにそんな力があるのかと観る。
何年ぶりかに見た金柑の実が懐かしかった。子どものころは日当たりの良い庭先や畑の隅に植えられていた。遊びの途中で2、3個黙って貰い皮ごと口に入れてすぐに吐き出していた。酸味の強い味だったことを記憶している。
市街地を離れて歩いてみると懐かしい光景や物を目にすることがよくある。金柑の木の下は大根が植わっており、抜かれた跡の大きな穴が隣の大根に「お前はまだか」と声を掛ける口のように見えた。捨てられた大根葉が黄色く変わり始めていた。
そのころ深い意味を知っていたかは分からないが頭髪が薄くなった人を「金柑頭」と悪党口をいい走り回った子どものころ、それが間もなくわが身に降りかかる歳になった。金柑のように後光にも見える色艶になれればいいが、その先は神のみぞ知る。わが目では直接見えないことが救いになるかも。
(写真:日に照らされた金柑は黄金球にも見える)