10数匹の鯉が、水車の回る小さな池で寄り添いながら思い思いに泳いでいる。その過密さは一目で分かるがその姿には競いあう様子は見えない。鯉は急な流れのない泥底の川や池を好むというが、清澄な池も居心地いがいいのかも知れない。
「住めば都」という。住みなれればどんな環境にあってもそれなりに住みよいと思う様になるという。数10センチはある鯉はこの池にいつ来たのだろうか。身を寄せ合う様子から住めば都の世界にいるようだ。苔など見えない池の中、飼い主が与える餌があるからゆったりしているのかも。
人様の世はどんなだろう。老後の生活に欠かせない年金、一応安心させる選挙の約束を「あれは選挙用でした」、安心と理解したほうに責任があるかのような総理ほかの関係者の弁、それは無いだろう。
そういえば100年安心といった年金が数年も保てなかった、郵政民営化でサービスは変わりませんと公約したが過疎地では廃止された業務もある。選挙でいう公約は、国民に対して政策を約束することだ。リップサービスは公約にならない。
小さく寄り合って生きることでいい。でも、そこに夢や希望、明るい将来の姿がかすかでも見えれば勇気も元気も出るというものだ。子どもたちも努力する芽が見つけられる。
水車のカッタンコットンという音は鯉たちには安心する響きに聞こえるのだろうか。
(写真:綺麗な錦鯉と水車)