町の医院の待合室。そこでは大きく言えば社会の縮図のような患者同士の会話が聞かれる。
その1
「あんた元気じゃったかね」「この前主人の49日を済ましたね」「どうね」という会話から主人をなくした方の話。
その前日、娘が孫を連れて「顔が見たくなったのでちょっと寄った」と汗をふきながら久しぶりに来た。主人は「用もないのにぶらぶらするな」と大きな声で娘にどなったがいつもの通りと娘は笑っていた。久しぶりに晩酌をし夜のニュースを見て床についた。そのまま起きてこなかった。
その2
「手を上げたら痛いけえ電気をかけにきよるんよ」と旧知らしい人に話し、続けて悔しそうにそして反省をこめたひと言。
信仰で治るちゅう誘いを信用して少々痛うても我慢しよったんよ。なんぼう信仰してもようならなんだ。信仰じゃあ病気は治らんちゅうのがようわかった。
その3
「あんた変わらず姿勢がええね」と言われた婦人、社交ダンスを続けているからよ、と答えたその続き。
レッスン料は10分間が千円、発表会のドレス代が年に100万円くらいかかる。サラリーマンの人はついてこれんのでどんどん辞めていって。
その1、昔からいう虫の知らせ。私にも経験がある。
その2、まだそういう世界があることに驚き誘った人の信仰心に疑問を持つ。
その3、ええ加減にせい。1番嫌なタイプ。
(写真:その1の娘さんとお父さんは強いとも綱で繋がっていた)