
訪問しているブログで各地のクリスマスの飾りが紹介されている。大きな組織や団体のそれはヨーロッパの城を飾る光彩のようであったり、大きな木の飾りは天空の星の輝きに勝るかのようで豪華だ。こうした仕掛けは年々進歩しているのだろうが作るも撤去も大変なご苦労だろう思いながら、感謝している。
近くでも個人のおうちの形に合わせ寒風の下で豆球が競い遊ぶように点滅している。自分ちの田んぼの中に大掛かりな飾りを仕掛け、行きかう人が楽しんでいるという、田園のなかの電装がローカル版の紙面に写真が大きく載っている。家々の明かりも遠くて見えない盆地のなかの田んぼ、写真からおとぎ話の世界のように思える。
ある施設のエントランスホール、職員さん手作りのクリスマスと正月を兼ねた飾りがでむかえる。日ごろの接触で職員みなさんは器用な方が多い事は知っている。だから作ろうと思えば手の込んだ豪華な飾りも可能だろうが、施設の役目柄か華美でない飾りになぜか「いいなあ」と思う。また同時にほっとする。こうしたものにも人柄や伝統が出るのかもしれない。
孫が遠く離れて暮らしており、今は我が家からクリスマス飾りは完全に影をひそめた。クジ引きで当たった小さなサンタ人形がクリスマスを教えてくれる。孫の誕生はクリスマスイブ。誕生とクリスマスのそれぞれを昼と夜の部に分けて楽しんでいたが、今年は学校行事でその日は沖縄にいるとか。年末まで学校行事、来春の進学準備もあるなどで年末の帰省はなし。大きくなれば帰省もままならぬが、これも成長の途と喜ぼう。