日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

柿を見て

2013年12月18日 | エッセイサロン


 今年の柿は豊作だ、鈴なりだ、もぎとる人がいない、などと今年もなんどか書いた。見て感じたといえばそうだが、なんと情けないことだろう、新聞の川柳欄を読んで思った。並んで載っていた2編は「飽食の時代か柿もほっとかれ」、「柿豊作もぐ人もなく小雪舞う」。17文字にいくつもの事象が織り込まれている。

 川柳を読むと世相のとらえ方を「なるほど」、「うまい切り口だ」と感心をしているだけ。一体川柳とはどんな文芸?と聞いた。川柳がいくら約束ごとも制約もないといっても、無軌道であってよいというものではない。川柳には文芸的本質として、短い中にも真理をずばりとつく寸鉄性と、知的な当意即妙性が内包されていること、これを忘れてはならない、と返ってきた。

 寸鉄性を「警句的性格」と注釈する。「寸鉄人をさす」という諺がある。寸鉄は小さな刃物。これが転じて、警句や警語、風刺のことを表す。だから短い適切なことばで、人の急所や要点をつくことに使われる、という。そこに共感を呼ぶ力があるのだ、遅まきながら理解した。

 エッセイの例会で示される書き方のポイントの一つ。「悲しい」とか「うれしい」とか「楽しい」とかという感情表現はせず、情景描写でわからせる書き方はないかと問われる。字数制限があると、つい簡便な使いかたに走る。「知的な当意即妙の描写」、それを目指すには豊かな表現力を養い、生活に根差した目で感性を養う事だろうか。
コメント (2)
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