自分の身体を眺めたことがあったんだ、絵手紙ホルダーにあった1枚を見ながらそう思った。身体の自慢できるところ、そんなことなど意識したことは今日まで全くない。この絵も、何を描くか困ってとっさに思いついて題材にしたのではなかろうか、そう思いながらも、それなりに描けているように思えるのは自己ひいきでしかないことは分かっている。
「苦労した」と添え書きしている。描くことに苦労したのか、ここまでの人生に苦労したのか思い出せないが、後者の方だと思う。描いたのは定年退職から10年近く経ったころ。現役で急逝した父の跡取りとしていろいろ経験した。20代後半ころには見かけの年齢は実際よりマジに10歳以上も上乗せして見られていた。「苦労したんじゃけえ」と侘しい気持ちを隠して笑っていた。
ひとつだけ手のひらの思い出がある。2次会の流れで同僚の後押しで手相を見てもらった。占い師は右手を眺めているが無言が続く、さては不吉かと思ったとき「間もなくいい知らせがあります」という。これがぴたりと当たった。数日後だった、上司から社内昇格試験に合格という連絡を貰った。手相や占いの経験はこの時がはじめで終わりとなっている。
描いた手の平と今のそれを見比べる。描くときは省略したのか、気づかずに描かなかったのか記憶はないが、皺というかスジというか妙に目立つ。少し手のひらを丸めるとそれが一段と目立つ。今日まで握ったり離したりした自分のひとつの姿かと見入る。ほかに代えることはできないのでこれからもよろしく頼みますよ。
(今日の575) 思うまま動いてくれる指に感謝
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