卒業(1953年)した岩国小学校は1847(弘化4)年 藩校の「養老館」としてスタート、1871(明治4)年 廃藩置県による普通教育令により、「錦見小学」として学校が誕生した、と沿革にある。在校時の校歌では「栄えある歴史は80余年」と歌っていた。
学校は木造校舎の2階建が数棟並び各棟は渡り廊下で繋がっていた。艶のある廊下の様子を今も記憶している。玄関前には立派な植栽があり、いつも色濃い緑がそこにはあった。その一角に真っ白な百葉箱が立っていた。
高学年になると当番で温度や湿度を記録する。初めてのときわくわくしたことを作文に書いた記憶があるが、手元に残っていない。もし、そのころの観測記録が残っていれば、50年以上も前と今を比べてみるのも面白かろう。
校舎はコンクリートに建て変わり、その位置は過っての運動場に移り、木造校舎の跡が運動場になった。百葉箱はその運動場の隅っこにひっそりと立っている。昔もこの辺りのように思う。
校倉風な囲いは痛み色も変わり風雪に耐えていることが伺える。観測器具が残っているのだろうか、外観からはいたわって貰っている様には伺えない。みんな自動観測へ変わっているかも知れない。変わらないのはこの町の元気な児童等を見つめていることだろうか。
(写真:百葉箱と遠景はサッカーの練習をする子どもたち)
祖父母と両親の遺影を並べておりますが、母のそれだけが微笑んでいます。
今、娘の学校にはあるのでしょうか?
最近はあまり存在感がないのかもしれません。
↓「孫の一枚」の記事、いいですね。
昨年祖母が亡くなりましたが、
その1年前に食事会をしたとき撮った一枚が、期せずして遺影になりました。