日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

渇水期の模様

2013年12月21日 | 地域


 錦帯橋の架かる錦川は清流で知られ、その豊富な水量と水質の良さは下流域に繊維や紙などの産業を誘致し、地域の発展に尽くした。その清流にも渇水期はある。それを強く意識したのは「錦帯橋平成の架け替え」の時だった。

 錦帯橋は日本3名橋の筆頭。276年不落を誇ったが、1950(昭和25)年9月のキジア台風により流失した。2年の歳月をかけ再建された。それから50年、全体に痛みが目立つようになり木造部分の全面架け替え工事「平成の架け替え」が行われました。工事が2001(平成13)年の秋から始まり04(同16)年の春に完了した。実際の工事は毎年、渇水期である秋から翌年の春までの期間行われた。

 この錦帯橋の橋台を水害から守っているのがその足元周辺に敷き詰められた敷石。架け替えに合わせ、この敷石も渇水期を利用して一新された。水量の減ったこの季節になると何千個もの石がひしめき合うような光景を橋上から一望できる。巨大な亀の甲羅のようであり、干上がった沼地のようでもある。

 この敷石が洪水や豊水期の流れから橋台を守り木造部の橋を支えている。無数の敷石を見ていると、毎日の生活もこうした目につかぬ支えの中で守られている、と改めて教えられるようだ。豊水期の自然美は目につきやすく気持ちを和ませるが、渇水期にはそれはそれなりの教えをくれる。
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笑う門松

2013年12月20日 | 生活・ニュース



 「笑う門には福来る」とは、いつも笑いの絶えない家庭には、自然に幸福がやってくる。苦しいことがあっても、前向きな明るい態度がやがて幸せを呼び込むということわざ。笑う所へ福来たる、ともいう。

 恒例のミニ門松作り。会場の山口県ふれあいパークは海抜500メートル。喘ぎながら上るバスの車窓から見える風景は、この冬の初雪が周囲を銀世界に変えている。ヘヤピンを曲がるたび参加者のおしゃべりは止む。門松作りにふさわしい光景に喜ぶ。

 変わり門松が頭の隅をかすめたが、例年どおりの「笑う門松」に仕上げる。小さな竹の節を中にして斜めに挽くと、口を大きく開けた人の顔に見える、と思う。これを組み合わせて「笑う門松」と称している。

 竹に詳しい世話役の人が「これはいい竹だ」という孟宗竹の一節の両端を、今年は斜めに切りおろし恰好をつけ土台を作る。中心部分を切り、削ぐなどして飾りを入れる空間をつくる。そこに、南天や葉牡丹、松に梅などを配して出来上がり。

 暮れの予定が一つ済んだ。カレンダーに明日の予定が遠慮しないで載っている。これは外せない内容、寒波の和らぐことを願っている。
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報恩講とお斎

2013年12月19日 | 生活・ニュース


 報恩講は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人(1173~1262年)のご命日(旧暦11月28日。新暦1月16日)をご縁とした大事な法要。年末近くなると「お講勤め」として各檀家を、寒風をついて住職が回られる。このお講勤は各家庭の報恩講にあたる。各寺や家庭では、一般に、本山の法要に先立って年内に勤めるならわしで、「お取り越し、お引上げ」と呼んでいる。我が家のお取り越は1週間ほど前に終わった。

 今日から3日間、親鸞聖人報恩講が本堂で営まれる。こうしたお寺へのお参りなどは家内の勤めとしていたが、定年後は家内から引き継いで1年に何度かお参りしている。こうしたお参りでは法話を聞くのも楽しみだ。報恩講に見える講師は、親鸞聖人の教えを替え歌にして示される。経本や文章が優しい言葉で耳に入る。

  あなたのお慈悲で涙にぬれる  拝む姿のうるわしき
  乱れる心のはずかしうれし  念仏業者の思い出がたり

     あなたの呼び声聞くうれしさに  拝んだ称えたそのままに
     せめてお慈悲につつまれだかれ  どうせ此の世で遂げないからだ (以下略)
 
 これは「念仏行者の歌」で芸者ワルツの節で歌う。

 購読紙に親鸞が連載されている。1回目は「親鸞」、2回目は「親鸞 激動編」、3回目の今は「親鸞 完結編」。2回目までの掲載は約700回、これからすると3回目も半ばに達した感じ。すべて切り抜きし製本しているが、それだけで終わっている。3回分を一気に読めば、何かわからないが何かつかめるかも、そんなことを思いながら、法話の資料を整理している。 

 お昼はお斎をいただく。少し粘り気と噛めば甘みのある岩国自慢のレンコンは、お斎のお手伝いされる婦人部さんの自家製とか。旬をしっかりいただいた。
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柿を見て

2013年12月18日 | エッセイサロン


 今年の柿は豊作だ、鈴なりだ、もぎとる人がいない、などと今年もなんどか書いた。見て感じたといえばそうだが、なんと情けないことだろう、新聞の川柳欄を読んで思った。並んで載っていた2編は「飽食の時代か柿もほっとかれ」、「柿豊作もぐ人もなく小雪舞う」。17文字にいくつもの事象が織り込まれている。

 川柳を読むと世相のとらえ方を「なるほど」、「うまい切り口だ」と感心をしているだけ。一体川柳とはどんな文芸?と聞いた。川柳がいくら約束ごとも制約もないといっても、無軌道であってよいというものではない。川柳には文芸的本質として、短い中にも真理をずばりとつく寸鉄性と、知的な当意即妙性が内包されていること、これを忘れてはならない、と返ってきた。

 寸鉄性を「警句的性格」と注釈する。「寸鉄人をさす」という諺がある。寸鉄は小さな刃物。これが転じて、警句や警語、風刺のことを表す。だから短い適切なことばで、人の急所や要点をつくことに使われる、という。そこに共感を呼ぶ力があるのだ、遅まきながら理解した。

 エッセイの例会で示される書き方のポイントの一つ。「悲しい」とか「うれしい」とか「楽しい」とかという感情表現はせず、情景描写でわからせる書き方はないかと問われる。字数制限があると、つい簡便な使いかたに走る。「知的な当意即妙の描写」、それを目指すには豊かな表現力を養い、生活に根差した目で感性を養う事だろうか。
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朝の電話

2013年12月17日 | エッセイサロン
 


 固定電話には家内の出ることが多い。「Oさんから電話ですよ」と呼ぶときはほかの電話の時に比べ弾んでいるように聞こえる。それもそのはず、M紙に投稿のエッセイが掲載されるとその連絡はOさんから電話で入る。通常はメールで済むが、こればかりは「一刻も早く伝えて、喜ばせよう」という親心にも似た電話だ。投稿からしばらくは「鳴らないか」と待つ。

 今年も暮れになり、そろそろ総括の頃だ。今月の電話はまだ1回、投稿掲載ではなく、11月の掲載作品が月間賞に入った、という掲載と同じような朗報だった。月間賞は入選3編、佳作7編の計10編が3人の選者によって選ばれる。入選作は年間賞の候補作品にもなる。入選を狙って投稿するが、そうたやすくはない。今年は今日までに入選1回と今回の佳作1回の合わせて2回が月間賞になった。

 今月、掲載されないかと待っているエッセイは投稿から2週間過ぎた。今朝も電話無しということは没だろう。内容は忘年会にまつわる自分の恥を書いたもの。年末押し迫ってでは載らないよりはいいが意味が薄れる。気分を変えて、元日特集が募集されているのでこれに焦点を当てみようか。

 こうして題材や構成を思案すことは、恐れているボケや認知症の遅延対策に少しは役立つのでは、などと思いながら励んでいる。はたから見れば「何をしている」と映るだろうが、当人はいたって真剣、そのギャップも題材になるかもしれない。朝の電話、それはその日を少しハイに過ごさせる仕掛けの役目を担う。次の朝の電話はいつだろうか。
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大きなマーク

2013年12月16日 | 社会 政治


 久しぶりに何度も利用したことのある高速道SAに立ち寄ったのは、ウイクデーの夕食には少し早く、3時のお茶には少し遅い、そんな中途半端な時間帯だった。これほど客の少ないのは珍しい。客は店内にちらほらで店員さんものんびり。私ら4人連れの客にも「いらっしゃいませ」といつになく大きな声に、こちらが戸惑う。

 来年4月からは高速道料金が変わる。ETC装着車は全体的には値下げされるようだが、時間帯などの変更には注意が必要とか。そんなことを思い出しながら助手席で気楽な一日を過ごした帰りのSA、最近改修されたのかきれいになってる。特に目についた変化は駐車場で、障がい者用スペースの充実だった。

 建屋に近い中央付近にいくつも設けられている。そして、そこに記された車椅子マークの巨大さと鮮やかさに「これならよくわかる」と1人納得しながら店内にはいった。一休みして戻ろうかと出口へ向かうとき、入れ替わるように数人の若者が入ってきた。外に出ると、建屋に一番近い車椅子マークのスペースに高座席の四輪駆動の車1台が駐車している。障がい者マークはついていない。入れ違いになった若者グループの車と思う。

 せっかくの心くばりされたスペース、そこが何を意味するかは車を運転する者の常識だ。他にスペースがないならわからないでもないが、空きスペースは十分にあった。店内に最も近い特定されたスペースに駐車する神経がわからない。そんな分別ないマナーの一行、道中、事故を起こさないことを願いながら再び助手席へ座った。
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電装飾り雑感

2013年12月15日 | 生活・ニュース


 訪問しているブログで各地のクリスマスの飾りが紹介されている。大きな組織や団体のそれはヨーロッパの城を飾る光彩のようであったり、大きな木の飾りは天空の星の輝きに勝るかのようで豪華だ。こうした仕掛けは年々進歩しているのだろうが作るも撤去も大変なご苦労だろう思いながら、感謝している。

 近くでも個人のおうちの形に合わせ寒風の下で豆球が競い遊ぶように点滅している。自分ちの田んぼの中に大掛かりな飾りを仕掛け、行きかう人が楽しんでいるという、田園のなかの電装がローカル版の紙面に写真が大きく載っている。家々の明かりも遠くて見えない盆地のなかの田んぼ、写真からおとぎ話の世界のように思える。

 ある施設のエントランスホール、職員さん手作りのクリスマスと正月を兼ねた飾りがでむかえる。日ごろの接触で職員みなさんは器用な方が多い事は知っている。だから作ろうと思えば手の込んだ豪華な飾りも可能だろうが、施設の役目柄か華美でない飾りになぜか「いいなあ」と思う。また同時にほっとする。こうしたものにも人柄や伝統が出るのかもしれない。

 孫が遠く離れて暮らしており、今は我が家からクリスマス飾りは完全に影をひそめた。クジ引きで当たった小さなサンタ人形がクリスマスを教えてくれる。孫の誕生はクリスマスイブ。誕生とクリスマスのそれぞれを昼と夜の部に分けて楽しんでいたが、今年は学校行事でその日は沖縄にいるとか。年末まで学校行事、来春の進学準備もあるなどで年末の帰省はなし。大きくなれば帰省もままならぬが、これも成長の途と喜ぼう。
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47RONIN

2013年12月14日 | 生活・ニュース


 作品名が意味するのは赤穂四十七士。「忠臣蔵」に大胆に手を入れ、新たなストーリーに仕立てた「新・忠臣蔵」と言える作品だ。時は、忠臣蔵と同じ将軍綱吉の時代。西洋人的な顔立ちなどから幼い頃、住民から不吉がられていたカイは、ある日、領主である浅野内匠頭に命を救われ、またその娘と恋におち、浅野家への忠義を心に誓う。これは映画「47RONIN」紹介の書き出し。大きな違和感を感じながら読んだ。

 綱吉と吉良上野介が赤穂を訪れていたある晩、浅野は、吉良家につかえる妖女の妖術に惑わされ、吉良を切りつける。ハりウッドで作った映画というが、ここまで読んで、紹介文の続きを読むことをやめた。映画評をネット検索すると「ダメ作品」の指摘が圧倒的、ただ、大石内蔵助たちの忠義は描かれていて、ホッとしたという救いもある。

 今日は忠臣蔵討ち入りの日。祖母は忠臣蔵が大好きだったが、孫の私が12年前に50回忌の法要を済ませた。47士の名前はもちろん、それぞれの武士の活躍を覚えていた。それらは、新聞小説忠臣蔵の切り抜きとラジオの浪曲などでから暗記したとしか思えない。子どもの頃その話をよく聞かされたが話のほとんどを覚えていない。それでも、吉良が悪くて浅野が気の毒、いつの間にか忠臣蔵のイメージができていた。

 今なら忠臣蔵を豊富な映像で思う存分楽しめるだろうが、祖母の時代にはTVもなかった。そんな祖母が「47RONIN」を観たらなんというだろうか。かなり武家風を尊ぶ祖母だったから間違いなく怒るだろう。そう思うとおかしくもありまた寂しい気もする。ハリウッド化された忠臣蔵、内匠頭はどう観られただろう。
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年金支給の日

2013年12月13日 | 社会 政治


 今年最後の年金振込日。嬉しくない振込額減額の通知受け取りから1週間あまり。金融機関のATMにはいつものように長い列。月末の給与振り込み日とは違い並んでいるのは大方が高齢者、私もその一人だ。会話は少ないどころか、下向きが多いのは減額のせいか寒い風のせいか、それとも合わせてだろうか。

 このところ金融機関の窓口で詐欺被害を未然に防いだとして警察からの表彰記事が続く。被害にあわずに済んだのは高齢者で「ああ、よかった」と自分の事のように喜ぶが、高齢者を狙って仕掛けてくるのだから気は抜けない。金融機関もATMのそばに職員を配置し注意を促している。先日、携帯で話しながらATMを操作している高齢の女性に声をかける職員をみた。

 そんな窓口で目を引くのが白地に赤で書かれた「金融機関特別警戒実施中」の幟、建屋の内外に立っている。パトカーが止まり、制服警官が見回るところを何度か見たことがある。警察官が店内に入ると一瞬引き締まるような雰囲気に変わるが、あとはほっと。罪を犯しているわけではないのに警察官の姿を見ると一瞬だが緊張するのはなぜだろう。

 年金を受給しながら老後を過ごす、終身雇用下で教えられた勤めの哲学だった。今、この哲学を教え続けることは出来ない。年金制度への不安、雇用制度の変化とその環境の厳しさ、非正規就労者の増加など労働環境は厳しい。年金制度を信頼し働いたていたような時代は戻ってこないようだ。
 
 

 
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本という一字

2013年12月12日 | エッセイサロン


 「1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)」の語呂合わせで12月12日は漢字の日という。この日に行われるのが、今年1年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」、京都の清水寺で発表された。初めて実況中継、いやLiveで見た。選ばれたのは「輪(リン/ワ)」。選ばれた意味を主催者は次のようにまとめている。

 日本中が「輪」になって歓喜にわいた年、として
 ・日本全体のチームワーク=「輪」で2020 年オリンピック・パラリンピックの東京開催、富士山の世界文化
  遺産登録、サッカーFIFA ワールドカップ2014 に日本代表の出場が決定。
 ・日本に再び五輪がやってくるという「輪」。
 ・東北地方の一致団結した大きな「輪」で、東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズ初優勝。
 ・ ワールドカップの日本代表新ユニホームで円陣を組むと「輪」のデザインに。 

 「私の一字」は何か、TVでは出演者それぞれが語っている。これまで報道としては見ていたが、これという理由は思いつかないが、自分の一字を考えたことはなかった。墨痕鮮やかに書きあがった「輪」の字を見て、今年の自分にはふと「本」だと思った。それは忘年会で受けた表彰状の「今年は新聞に投稿掲載されたエッセイが百編となったのを節目に、自費出版をするという記念すべき年となりました」という書き出しを思い出したからだ。

 小さな本だが自費出版した記念すべき年。エッセイの会に仲間入りしてしばらくたってから、いつかは自費出版したいと、かすかな思いを描いていたことが実現した。周囲の善意に導かれたのではあるが、一仕事したことには違いない。今年の一字、これまでは聞き流すくらいでいたが、エッセイに挑戦するからには一字一字を大切にしよう。そして、12月12日には意味ある一字が書けるよう精進を、と思う。
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