松井珠理奈が選抜総選挙で待望の1位になったのに、その直後から体調不良となり、選抜メンバーによるCDに参加できない事態となった。こんなことは前代未聞だ。CDのレコーディングに参加しているかどうかは、音源を聞いた限り100%の自信はないが、恐らく彼女の声はなかった。少なくともソロパートはない。歌番組でも彼女抜きで披露されていた。せっかくの1位になったのに残念だったろう。さすがに気の毒に思う。
ミュージックビデオも見たが、ここにも珠理奈は参加していない。本来彼女が写っているべき場面は、絵コンテになっていたり、後姿の影武者(代役)が写っていたりする。テロップでは、後日珠理奈のカットを撮影して再編集した完全版を公開したいといったことが書かれていたが、これはこれで1つの作品として完成していると思う。そこには映っていない珠理奈の不在が際立っていて、彼女が出演できないことを逆手に取った印象的な作品になっている。
かつて『ファーストラビット』のミュージックビデオが、出演していない前田敦子の不在を際立たせていたように。
そういった楽曲の背景はさておき、純粋に1つの楽曲として鑑賞する。
初めて聴いた時は、曲調が散漫で、覚えにくい曲だと感じた。何回か聴いても、Aメロ、Bメロ、サビがバラバラで、まとまりのない曲だと感じていた。更に何度も繰り返し聴いているうちに、ようやく耳にも馴染んできた。そして、この感覚は何かに似ていると思った。そう、乃木坂46のシングルのようだ。
そう言えばサビの歌い出し「こんなに(切ない朝が)」の部分は、乃木坂46『サヨナラの意味』のサビ「サヨナラに(強くなれ)」と非常に似ている。サビだけでなく、曲全体の雰囲気も似ている。歌詞の冒頭に電車が出てくるのも偶然の一致だ。
乃木坂46のシングル『ジコチューで行こう!』はAKBっぽいと感じたが、両者の楽曲の差異があまりなくなって来ているのかもしれない。
一方、歌詞はAKBグループ伝統の「電車の中の片思い」を歌ったものだ。
通学電車に、後から乗って来て先に降りていく彼女を、毎朝ただじっと見つめているだけで幸せだという片思い礼賛ソングの真骨頂だ。「何もしない 何もできない」それでも幸せだと歌っている。原点回帰と言おうか、非常にオーソドックスな歌詞だと思う。
過去のAKBグループの歌詞のエッセンスも散りばめられている。彼女の今朝の髪型がポニーテールなのは『ポニーテールとシュシュ』。一日中彼女のことを想っているのは『ヘビーローテーション』。彼女と一瞬目が合ったと妄想するのは『フライングゲット』。気持ちを叫びたいのは『大声ダイアモンド』。
でもそれだけじゃあ芸がなさすぎる気がする。秋元康お得意のダブルミーニングを深読みする。
「卒業までの1日また1日」という歌詞、「走り続ける」という歌詞のラストから、「センチメンタルトレイン」とはAKBグループそのものだという解釈も成り立つと思う。乗り降りする乗客のようにメンバーは入れ替わっていくが、グループとして永続的に青春の感傷を歌い続ける「器」を列車に喩えて歌っているのだ。
実は、「何もできない日々はセンチメンタルトレイン」の部分をずっと「何もできない 君はセンチメンタルトレイン」だと思い込んでいた。実際そう聞こえていた。何もできないのは「君」ではなく、「僕」だ。「(僕は何もしない 何もできない。)君はセンチメンタルトレイン。」だと思っていた。敢えてそう聞こえるような紛らわしい歌詞にしているというのは穿ち過ぎか。
ミュージックビデオも見たが、ここにも珠理奈は参加していない。本来彼女が写っているべき場面は、絵コンテになっていたり、後姿の影武者(代役)が写っていたりする。テロップでは、後日珠理奈のカットを撮影して再編集した完全版を公開したいといったことが書かれていたが、これはこれで1つの作品として完成していると思う。そこには映っていない珠理奈の不在が際立っていて、彼女が出演できないことを逆手に取った印象的な作品になっている。
かつて『ファーストラビット』のミュージックビデオが、出演していない前田敦子の不在を際立たせていたように。
そういった楽曲の背景はさておき、純粋に1つの楽曲として鑑賞する。
初めて聴いた時は、曲調が散漫で、覚えにくい曲だと感じた。何回か聴いても、Aメロ、Bメロ、サビがバラバラで、まとまりのない曲だと感じていた。更に何度も繰り返し聴いているうちに、ようやく耳にも馴染んできた。そして、この感覚は何かに似ていると思った。そう、乃木坂46のシングルのようだ。
そう言えばサビの歌い出し「こんなに(切ない朝が)」の部分は、乃木坂46『サヨナラの意味』のサビ「サヨナラに(強くなれ)」と非常に似ている。サビだけでなく、曲全体の雰囲気も似ている。歌詞の冒頭に電車が出てくるのも偶然の一致だ。
乃木坂46のシングル『ジコチューで行こう!』はAKBっぽいと感じたが、両者の楽曲の差異があまりなくなって来ているのかもしれない。
一方、歌詞はAKBグループ伝統の「電車の中の片思い」を歌ったものだ。
通学電車に、後から乗って来て先に降りていく彼女を、毎朝ただじっと見つめているだけで幸せだという片思い礼賛ソングの真骨頂だ。「何もしない 何もできない」それでも幸せだと歌っている。原点回帰と言おうか、非常にオーソドックスな歌詞だと思う。
過去のAKBグループの歌詞のエッセンスも散りばめられている。彼女の今朝の髪型がポニーテールなのは『ポニーテールとシュシュ』。一日中彼女のことを想っているのは『ヘビーローテーション』。彼女と一瞬目が合ったと妄想するのは『フライングゲット』。気持ちを叫びたいのは『大声ダイアモンド』。
でもそれだけじゃあ芸がなさすぎる気がする。秋元康お得意のダブルミーニングを深読みする。
「卒業までの1日また1日」という歌詞、「走り続ける」という歌詞のラストから、「センチメンタルトレイン」とはAKBグループそのものだという解釈も成り立つと思う。乗り降りする乗客のようにメンバーは入れ替わっていくが、グループとして永続的に青春の感傷を歌い続ける「器」を列車に喩えて歌っているのだ。
実は、「何もできない日々はセンチメンタルトレイン」の部分をずっと「何もできない 君はセンチメンタルトレイン」だと思い込んでいた。実際そう聞こえていた。何もできないのは「君」ではなく、「僕」だ。「(僕は何もしない 何もできない。)君はセンチメンタルトレイン。」だと思っていた。敢えてそう聞こえるような紛らわしい歌詞にしているというのは穿ち過ぎか。