10月10日にNHKで放送された特番を見た。キャンディーズのデビュー当時から解散コンサートまでを90分にまとめた番組で、非常に見応えがあった。
番組の中で、主な楽曲はフルコーラスで収録されていた。名曲ぞろい。1曲が3分程度と短いため、フルコーラスでも長く感じない。
歌番組でも、解散コンサートでも、当然のことながら全て生歌唱である。口パクではない。振り付けもしながら、音程も確かだし、ハーモニーも美しい。また、声が明瞭で歌詞が聞き取りやすい。
デビュー曲『あなたに夢中』を、作曲者の森田公一のピアノ伴奏でレッスンしている映像は貴重だった。デビュー前なのに、既にしっかりした美しいハーモニーを聴かせていた。
解散を宣言した日比谷野音ステージの映像が衝撃的だった。
コンサート終了時、スタッフに事前に予告もせず、ステージ上で突然3人が解散の宣言をしたのだ。悲鳴だか怒号だかわからない観客の叫び声、その後不揃いな「キャンディーズ」コールが自然発生。泣きながら話を終えた3人はステージに座り込んで動けない。投げ入れられた紙テープが床にうず高く積もり、大袈裟ではなく3人が埋もれてしまいそうだった。舞台裏から現れたスタッフに引きずられるようにして退場する3人。
比較のしようもないが、AKBグループや坂道グループのメンバーの「卒業」宣言も、時に涙を流しながらの場合もあるが、キャンディーズほどの衝撃はない。誰にでもいつか来る「卒業」で、本人もファンも受け入れる心構えができているからなのだろう。また、当時と今では芸能人とファンの距離感が違う。SNSで頻繁な発信が求められる現代の芸能人と違い、当時は、テレビ番組や「明星」「平凡」といった雑誌など、マスメディアを通じた限られた情報しかない芸能人は「雲の上の人」だった。
解散コンサートは、当時では「女性歌手ではじめて」後楽園球場で開催された。それほど大きな会場でのコンサートは珍しかったのだ。当時、まだ東京ドームではない。当日、晴れて良かった。
コンサート開催日は1978年4月4日。日比谷野音の「開催宣言」では1977年9月までで解散と言っていたので、色々な事情や調整の結果、半年延びたのだろう。
意外だったのは、最初から最後まで衣装替えはせず、同じ衣装で通したことだ。白く光沢のある生地に何層もの襞が入っていて、それぞれ赤、青、黄のラインがあしらわれている。その後の映像でも何回も見たあの衣装である。衣装替えで舞台を外すよりも、1秒でも長くファンに姿を見せたいと思ったのだろうか。
『微笑返し』は、改めて良い曲だと思った。阿木燿子の歌詞が素晴らしい。
若い男女の切なくも前向きな別れを歌っているが、そこには解散するキャンディーズ3人の別れも重ね合わせてある。そして、歌詞の中に、これまでのキャンディーズの楽曲のタイトルが多数織り込まれている。「春一番」「わな」「ハートのエースが出てこない」「年下の男の子」「やさしい悪魔」「アンドゥトロワ」。彼女たちの業績を振り返り懐かしむファンへのサービスだ。この手法は、この後、多くのアイドルに踏襲される。
特に「アンドゥトロワ」は、1番では「ワンツースリー」2番では「いちにさん」と歌っていた部分で、焦らして焦らして、最後の繰り返しでやっと「アンドゥトロワ」と歌うところが心憎い。
また、今回初めて気づいたのだが、曲名の「微笑返し」は、『わな』の中の「あの人は微笑み返してくれる」という歌詞から引用しているとも解釈できる。
高校2年生だった私は、まだ意識的な「アイドルファン」ではなかった。ごく普通の一高校生として、テレビなどで見ているだけだった。「全キャン連」とか、熱心なファンのことは「よくやるなあ」という目で見ていた。
当時は、アイドルも、演歌も、ニューミュージックも、同じ土俵で「音楽」として鑑賞していた。
地方の高校生にとって、後楽園球場に解散コンサートを見に行きたいなど全く思いもしなかった。あと2年早く生まれて、東京の大学生だったら見に行ったかもしれない。歴史の目撃者にはなれなかったが、こうして40年以上経ってテレビで鑑賞できるのは素晴らしいことだ。
2011年、スーちゃんこと田中好子さんが亡くなった時の記事はこちら。
番組の中で、主な楽曲はフルコーラスで収録されていた。名曲ぞろい。1曲が3分程度と短いため、フルコーラスでも長く感じない。
歌番組でも、解散コンサートでも、当然のことながら全て生歌唱である。口パクではない。振り付けもしながら、音程も確かだし、ハーモニーも美しい。また、声が明瞭で歌詞が聞き取りやすい。
デビュー曲『あなたに夢中』を、作曲者の森田公一のピアノ伴奏でレッスンしている映像は貴重だった。デビュー前なのに、既にしっかりした美しいハーモニーを聴かせていた。
解散を宣言した日比谷野音ステージの映像が衝撃的だった。
コンサート終了時、スタッフに事前に予告もせず、ステージ上で突然3人が解散の宣言をしたのだ。悲鳴だか怒号だかわからない観客の叫び声、その後不揃いな「キャンディーズ」コールが自然発生。泣きながら話を終えた3人はステージに座り込んで動けない。投げ入れられた紙テープが床にうず高く積もり、大袈裟ではなく3人が埋もれてしまいそうだった。舞台裏から現れたスタッフに引きずられるようにして退場する3人。
比較のしようもないが、AKBグループや坂道グループのメンバーの「卒業」宣言も、時に涙を流しながらの場合もあるが、キャンディーズほどの衝撃はない。誰にでもいつか来る「卒業」で、本人もファンも受け入れる心構えができているからなのだろう。また、当時と今では芸能人とファンの距離感が違う。SNSで頻繁な発信が求められる現代の芸能人と違い、当時は、テレビ番組や「明星」「平凡」といった雑誌など、マスメディアを通じた限られた情報しかない芸能人は「雲の上の人」だった。
解散コンサートは、当時では「女性歌手ではじめて」後楽園球場で開催された。それほど大きな会場でのコンサートは珍しかったのだ。当時、まだ東京ドームではない。当日、晴れて良かった。
コンサート開催日は1978年4月4日。日比谷野音の「開催宣言」では1977年9月までで解散と言っていたので、色々な事情や調整の結果、半年延びたのだろう。
意外だったのは、最初から最後まで衣装替えはせず、同じ衣装で通したことだ。白く光沢のある生地に何層もの襞が入っていて、それぞれ赤、青、黄のラインがあしらわれている。その後の映像でも何回も見たあの衣装である。衣装替えで舞台を外すよりも、1秒でも長くファンに姿を見せたいと思ったのだろうか。
『微笑返し』は、改めて良い曲だと思った。阿木燿子の歌詞が素晴らしい。
若い男女の切なくも前向きな別れを歌っているが、そこには解散するキャンディーズ3人の別れも重ね合わせてある。そして、歌詞の中に、これまでのキャンディーズの楽曲のタイトルが多数織り込まれている。「春一番」「わな」「ハートのエースが出てこない」「年下の男の子」「やさしい悪魔」「アンドゥトロワ」。彼女たちの業績を振り返り懐かしむファンへのサービスだ。この手法は、この後、多くのアイドルに踏襲される。
特に「アンドゥトロワ」は、1番では「ワンツースリー」2番では「いちにさん」と歌っていた部分で、焦らして焦らして、最後の繰り返しでやっと「アンドゥトロワ」と歌うところが心憎い。
また、今回初めて気づいたのだが、曲名の「微笑返し」は、『わな』の中の「あの人は微笑み返してくれる」という歌詞から引用しているとも解釈できる。
高校2年生だった私は、まだ意識的な「アイドルファン」ではなかった。ごく普通の一高校生として、テレビなどで見ているだけだった。「全キャン連」とか、熱心なファンのことは「よくやるなあ」という目で見ていた。
当時は、アイドルも、演歌も、ニューミュージックも、同じ土俵で「音楽」として鑑賞していた。
地方の高校生にとって、後楽園球場に解散コンサートを見に行きたいなど全く思いもしなかった。あと2年早く生まれて、東京の大学生だったら見に行ったかもしれない。歴史の目撃者にはなれなかったが、こうして40年以上経ってテレビで鑑賞できるのは素晴らしいことだ。
2011年、スーちゃんこと田中好子さんが亡くなった時の記事はこちら。