タイトル曲とカップリング曲合わせて7曲。同4曲のSTU48との待遇の差は歴然だ。また、タイトル曲を含め、尖った曲が多く、勢いを感じる。
『流れ弾』。
イントロが恰好いい。アクションもののテレビドラマの主題歌のようだ。
歌詞の内容はいかにも櫻坂46らしい。
かつてNMB48『ワロタピープル』、HKT48『人差し指の銃弾』で描いた世界に通じるものがある。
常に誰かの視線に怯えている。何が炎上し、どこで叩かれるかわからない。油断できない現代社会の恐ろしさ。その2曲は加害者側と被害者側の両側から歌っていたが、『流れ弾』は誰もがその両方になりえるという前提で歌っている。そして最後には流れ弾が止まるというエピローグまで描く。あまりに楽観的過ぎるとも思えるが、これが秋元康の結論なのか。
『Dead end』。
この曲がシングル表題曲であってもおかしくない。イントロも格好いいし、疾走感のある曲調。いかにも櫻坂46らしいプロテストソングだ。
大人たちへの反発、自分のやりたいことが見つからない焦燥感、それらがないまぜになった「行き止まり感」を緊迫感いっぱいで歌う。象徴的な行為として、夜中の商店街を全力で走っているが、『黒い羊』で夕方の商店街を避けて帰っていたことと符合している。要するに反抗する手段さえ見つからない、見当はずれということなのだろう。こういう青春は辛い。
『On my way』。
この歌は緩いプロテストソングだ。大きく道を踏み外すわけではない。ただ、マイペースで寄り道しながら、自分らしく生きて行きたいと歌っている。
ちょっとコミカルな歌い方で、聴いている方も少し息が抜ける曲だ。
曲調はSKE48『Nice to meet you』やNMB48『何度も狙え』にどことなく似ている。
『ソニア』。
母親のルージュを盗み、バスルームでこっそり塗っていた少女が、成長して大人の女性になったという歌。
「母と娘」シリーズの楽曲は、『ママのドレス』『教えてマミー』『女の子の第六感』など定番だが、この曲もその流れを汲む。
1つ疑問なのは、この曲の視点はどこにあるのかということだ。「ソニア ソニア ソニア」と呼び掛けているのは一体誰なのか。冒頭に「ある時僕に教えてくれた」とあるので、普通に考えれば現在の恋人か?でも歌詞をよく聴くと、ソニアが幼い頃のエピソードを過去形でまるで見てきたように語っている。だとすれば、幼馴染で現在も付き合っている恋人なのか?あるいは、神様とか、俯瞰して見ている存在だという解釈も成り立つだろう。
しかし、私は別の解釈を採りたい。それは父親という解釈だ。母親のルージュを盗んだという秘密を父娘で共有するくらい親密な関係なのだと思いたい。そして、いつしか大人になり、恋をして、やがて自分の手元から離れていく日を予感している父親の寂しさまで感じ取ってしまう。
『ジャマイカビール』。
ジャズっぽいお洒落なサウンド。AKB48の『エンドロール』を思い出す。
出て行った恋人が冷蔵庫に残して行ったジャマイカビールを飲んでいるという歌。賞味期限が切れていることから、彼が去ってからかなりの月日が経ったことがわかる。また、ジャマイカビールなどというこじゃれた嗜好から、彼の人となりも想像できそうだ。お洒落で見栄っ張りのアーティスト系か?そんな彼に、彼女は未練たらたらで「断捨離なんてできるわけない」と吐露する。
そもそもジャマイカビールってどんなビールなのだろうか?『裸足でサマー』のルイボスティーもそうだったが、実際に飲んでみると、どうってことないのだろう。
『無言の宇宙』。
「愛は言葉にすると失われてしまう」というのがこの曲のテーマだ。
以前『愛を語る詩人になれなくて』の感想でも書いたが、愛やときめきを言葉で表現することなど不可能。野に咲く花のように、ただ見つめていればいいという歌詞。それはその通りと思う。一瞬で消えてしまう儚い感情を、無力な言葉ですくい取ることは至難の業だ。
しかし作詞家自身、無理だと言いながら、その無理なことに挑むために詞を書いているのではないか。
難しくてほとんど不可能、でも表現したい。この詞はそんな矛盾した心情を歌っているのだ。
『無言の宇宙』だって、結局その無謀な挑戦を試みているのだ。「僕は君を理由なく好きだ」というシンプルな言葉が結論だ。「理由なく」と説明を放棄しているように見えて、その表現でギリギリ愛の真実に迫っている。
『美しきNervous』。
ちょっとふざけたような歌い方が印象的。「ナーバス」を連呼することで不思議なリズム感が生まれていて、耳に残って離れない。
偶然会った彼に一目ぼれして、平常心でいられなくなっていると、一言でいえばそれだけの歌。「ナーバス」をどう訳するか辞書を引いて考えたが、「神経質な」とか「繊細な」ではちょっと違う。「臆病な」が近いだろうか。
『流れ弾』。
イントロが恰好いい。アクションもののテレビドラマの主題歌のようだ。
歌詞の内容はいかにも櫻坂46らしい。
かつてNMB48『ワロタピープル』、HKT48『人差し指の銃弾』で描いた世界に通じるものがある。
常に誰かの視線に怯えている。何が炎上し、どこで叩かれるかわからない。油断できない現代社会の恐ろしさ。その2曲は加害者側と被害者側の両側から歌っていたが、『流れ弾』は誰もがその両方になりえるという前提で歌っている。そして最後には流れ弾が止まるというエピローグまで描く。あまりに楽観的過ぎるとも思えるが、これが秋元康の結論なのか。
『Dead end』。
この曲がシングル表題曲であってもおかしくない。イントロも格好いいし、疾走感のある曲調。いかにも櫻坂46らしいプロテストソングだ。
大人たちへの反発、自分のやりたいことが見つからない焦燥感、それらがないまぜになった「行き止まり感」を緊迫感いっぱいで歌う。象徴的な行為として、夜中の商店街を全力で走っているが、『黒い羊』で夕方の商店街を避けて帰っていたことと符合している。要するに反抗する手段さえ見つからない、見当はずれということなのだろう。こういう青春は辛い。
『On my way』。
この歌は緩いプロテストソングだ。大きく道を踏み外すわけではない。ただ、マイペースで寄り道しながら、自分らしく生きて行きたいと歌っている。
ちょっとコミカルな歌い方で、聴いている方も少し息が抜ける曲だ。
曲調はSKE48『Nice to meet you』やNMB48『何度も狙え』にどことなく似ている。
『ソニア』。
母親のルージュを盗み、バスルームでこっそり塗っていた少女が、成長して大人の女性になったという歌。
「母と娘」シリーズの楽曲は、『ママのドレス』『教えてマミー』『女の子の第六感』など定番だが、この曲もその流れを汲む。
1つ疑問なのは、この曲の視点はどこにあるのかということだ。「ソニア ソニア ソニア」と呼び掛けているのは一体誰なのか。冒頭に「ある時僕に教えてくれた」とあるので、普通に考えれば現在の恋人か?でも歌詞をよく聴くと、ソニアが幼い頃のエピソードを過去形でまるで見てきたように語っている。だとすれば、幼馴染で現在も付き合っている恋人なのか?あるいは、神様とか、俯瞰して見ている存在だという解釈も成り立つだろう。
しかし、私は別の解釈を採りたい。それは父親という解釈だ。母親のルージュを盗んだという秘密を父娘で共有するくらい親密な関係なのだと思いたい。そして、いつしか大人になり、恋をして、やがて自分の手元から離れていく日を予感している父親の寂しさまで感じ取ってしまう。
『ジャマイカビール』。
ジャズっぽいお洒落なサウンド。AKB48の『エンドロール』を思い出す。
出て行った恋人が冷蔵庫に残して行ったジャマイカビールを飲んでいるという歌。賞味期限が切れていることから、彼が去ってからかなりの月日が経ったことがわかる。また、ジャマイカビールなどというこじゃれた嗜好から、彼の人となりも想像できそうだ。お洒落で見栄っ張りのアーティスト系か?そんな彼に、彼女は未練たらたらで「断捨離なんてできるわけない」と吐露する。
そもそもジャマイカビールってどんなビールなのだろうか?『裸足でサマー』のルイボスティーもそうだったが、実際に飲んでみると、どうってことないのだろう。
『無言の宇宙』。
「愛は言葉にすると失われてしまう」というのがこの曲のテーマだ。
以前『愛を語る詩人になれなくて』の感想でも書いたが、愛やときめきを言葉で表現することなど不可能。野に咲く花のように、ただ見つめていればいいという歌詞。それはその通りと思う。一瞬で消えてしまう儚い感情を、無力な言葉ですくい取ることは至難の業だ。
しかし作詞家自身、無理だと言いながら、その無理なことに挑むために詞を書いているのではないか。
難しくてほとんど不可能、でも表現したい。この詞はそんな矛盾した心情を歌っているのだ。
『無言の宇宙』だって、結局その無謀な挑戦を試みているのだ。「僕は君を理由なく好きだ」というシンプルな言葉が結論だ。「理由なく」と説明を放棄しているように見えて、その表現でギリギリ愛の真実に迫っている。
『美しきNervous』。
ちょっとふざけたような歌い方が印象的。「ナーバス」を連呼することで不思議なリズム感が生まれていて、耳に残って離れない。
偶然会った彼に一目ぼれして、平常心でいられなくなっていると、一言でいえばそれだけの歌。「ナーバス」をどう訳するか辞書を引いて考えたが、「神経質な」とか「繊細な」ではちょっと違う。「臆病な」が近いだろうか。