AKB48 チームBのファンより

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森高千里論(その4)。何でも歌にする森高ワールド。(ときめき研究家)

2023-03-11 22:06:18 | ときめき研究家
前の記事(その1その2その3)に続き、森高の歌詞について語りたい。
今回は、他の人が歌にしないようなユニークなテーマ、内容を歌にしてしまう森高ワールドの魅力について。

『勉強の歌』(1990)は、「勉強はしないよりしておいた方がいいよ」とサラリと歌う。他の人がそう言うと説教くさくなりそうだが、なぜかそうはならない。ティーンエイジャーの日常の相当部分を占める「勉強」について、全否定でも全肯定でもなく、フラットな立場から歌っているのが森高らしい。
『ロックンロール県庁所在地』(1992)は、歌いながら社会科の勉強になる(?)歌だ。47都道府県名と、県名と異なる県庁所在地が歌詞になっている。当時、この歌で本当に「勉強」した人がいたかは分からない。「埼玉は浦和」の部分は、現在は「埼玉はさいたま」に変えなくてはならない。また、時々、合いの手でその県の名物が入るが、栃木(宇都宮)では「しもつかれ しもつかれ」と言っている。「餃子」ではないのだ。当時は、宇都宮の餃子はそれほど有名でなかったのかもしれない。

『台風』(1994)は、台風が近づいて来る様子を「ドンパン、ドドパン」と擬音で表現し、そのせいでデートの予定がダメになることを嘆く歌。台風に対して「ほんと迷惑だよ もっと考えてよ」と抗議しているのが面白い。
『ROCK ALARM CLOCK』(1992)は、寝坊して「遅刻だ、遅刻だ」と焦って連呼する歌。この歌では「ボロ時計 ボロ時計 恨んでやる」と目覚まし時計に抗議している。焦りながらも、顔がむくんでいる、このままではすっぴんで出かけるしかない、などとあれこれ現実的に悩んでいるのが面白い。
『頭が痛い』(1992)は頭が痛い、のどが痛い、体がだるい、風邪ひいた、困った、ついてない等々、病状と愚痴を延々と繰り返す歌。ただそれだけだが、どんどん悪化して行くのが手に取るように伝わる。。
『ストレス』(1988)も、ストレスがたまる、ストレスが女をダメにする、ストレスが地球をダメにすると延々と繰り返す歌。大げさに歌うことでストレス発散しているようだ。

『はだかにはならない』(1989)は、「どんなに蒸し暑くても服は脱がない」と歌っているが、その真意は当時水着グラビアなどをしつこく勧められることへの反発を歌っていたのだろう。
『のぞかないで』(1991)は、「ドすけべ」「痴漢と一緒」「名前を言わないだけでもありがたいと思え」などと過激な歌詞が続く。おそらく現実に、パワハラ、セクハラ、嫌な目にあったのだろう。
『臭いものにはフタをしろ』(1990)は「俺はストーンズ10回行ったぜ」などとマウントを取ってくるおじさんに対して、ウザいなという気持ちを歌っている。「私ロックはだめなのストレートよ」などと煙に巻き、蘊蓄を語るだけの「えせロッカー」を嘲笑している。
『鬼たいじ』(1990)は、人間の顔をした現代の「鬼」を退治してやるという比喩的な歌。具体的な描写はないが、不愉快な周囲の人間の誰彼を思い浮かべて作った歌ではないか。
『ハエ男』(1993)も、上司にゴマをする嫌味な男を、ノリのいいメロディーで笑い飛ばす。これもきっと、そんな男が周囲にいたのだろう。
『ザ・バスターズ・ブルース』(1990)は、比喩ではなく本物のゴキブリの歌。「やっぱ出た」と忌み嫌いながら、黒くて大きい、テカテカ光る、グロテスク、噛みつかれそう、等々執拗に描写している。
こういうネガティブで忌み嫌うべき存在や出来事も、歌にすることで昇華させ、笑い飛ばしているのが森高らしい。

『薹(とう)が立つ』(1996)は、鶏みたいに「薹薹薹薹薹薹薹薹」を何回も繰り返し、「薹」という字が書けるか歌っている。「あんたその字知っとっと?」と、九州の方言も取り入れた面白い言葉遊びの歌。
『JIN JIN JIN』(1996)『ジンジンジングルベル』(1995)も同系統。『台風』の「ドンパン、ドドパン」もそうだが、言葉の響きやリズムを楽しむための歌だ。

『見つけたサイフ』(1992)は、友達と2人でいる時に、自分が先に財布の落とし物を見つけたのに、友達が拾って、交番でも友達が拾得者として受け付けられたことへのモヤモヤ感を歌う。大人にとっては些細な、子供の心情を描いていてリアルだ。最後は予定調和な落ちがつく。

『叔母さん』(1992)は母親の妹で、独身で恰好いいキャリアウーマンの叔母さんにブティックやらレストランやら色々と教えてもらう歌。所帯じみた母親よりも自由な叔母さんに憧れるのはよくある話だ。でも最後には「そろそろ落ち着いた方がいいよ」などと余計なアドバイスをしていて、それは母親の受け売りなのだろう。
『若さの秘訣』(1994)は横文字仕事の36歳独身女性が、ロック大好きな「ロックお姉ちゃん」で、ロックが若さの秘訣だと歌う。この彼女、音楽好きの『叔母さん』とイメージが重なる。
こう2曲を並べると、キャリアウーマン、女性の自立といった志向が強いと思いがちだが、必ずしもそうではない。
『地味な女』(1993)では、結婚するならお金持ちの息子がいいなどと歌うし、『ペパーランド』(1992)では、「女の子」だけのバンドだから下手だけど愛嬌でカバーするなどと平然と歌う。フェミニストからは批判されそうだ。
でも、要は森高の歌にあまり思想性はないのだ。森高自身の思想性はあるのかもしれないが、それとは関係なく、いろんな価値観の男女の歌を、フラットに、共感を持って歌っているだけなのだ。
世の中には多様な人間がいて、それぞれの価値観に従い、それぞれの人生を多様に生きている。そんな当たり前のことを再認識させてくれるのが森高ワールドなのだ。

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