昨日の仕込がうまくいったので、
今日はゆっくりな劇場入り。
僕は、くまに誘われて、
フエの革命家、ファン・ボイ・チャンの石碑を見に行く。
フランス植民地時代に、
フランスからの独立を目指し、
日本に留学していた人。
日本の静岡の医者・浅羽さんが、
彼の留学を援助したという。
しかし、残念ながら日本がフランスと同盟関係となったため、
日本を追われ、
中国でも同様に革命を目指したが、
受け入れられずに帰国し、
故郷フエにて軟禁された。
フエでは、彼の釈放を求めた女学生たちのデモが起こるなど、
社会的に影響力のあった革命家であったが、
志半ば1940年に軟禁されたフエで死んでしまう。
中には石碑のほかに、
若干の写真と日本語の説明、
今まで聞いたこともない、
日本とベトナムをつなぐ歴史だった。
その後は、市場をのぞいたりシクロで移動したりしながら、
昼食。
そして、劇場入り。
何事もなく、場当たりまでみんな時間をもてあますくらいだったが、
ここへ来てトラブル発生!
スライドがきちんと映らない。
ハノイとは違う機材のため、
調整のせいかと思いきや、
PCからの信号のせいだとわかり、
いじっていたら、何とかスライドに文字が収まった。
ほっと一息もつかの間、
そのPCの持ち主のスタッフが、
メールチェックのために一度接続をはずしてしまったため、
設定が元に戻ってしまった!!
どこをどういじっても直らない・・・。
開演まで1時間ちょっと・・・どうする!!
スタッフは、プロジェクターのせいだ、何だと言ってるが、
明らかにPCからの信号のずれだと思う。
でも、ココでそんなことをいっても始まらないので、
覚悟を決めて、スライドのサイズを治すことにする。
スライドのベースの形を変え、
1000枚以上をチェックしながら、
はみ出た文字を修正していく。
開場時間になっても半分もいかない。
開場時間を遅らせ、
結局客入れをはじめても、作業続行。
開演時間を5分、
そして・・・10分押し。
まさに開演ぎりぎりで、
何とか最後まで行く。
スライド操作は、
使われてないオケピットでの作業で、
とにかく、蚊に刺されまくる。
腕中が痒くなるも、
袖からほっとした息が聞こえてくると、
何とか間に合ってよかったな、と思う。
今日の客層は、
高校生くらいの子たちと、
フエの知識人・文化人、
そして日本語学校の生徒さん。
1500くらいのキャパの劇場で、
1階が8割以上埋まっている。
ハノイとはまた違った、
雑多な空気での公演。
2階から見下ろすように観ていたが、
蚊だけでなく、鳥が飛んでたり、
ねずみが走り回っていたりと、
経験したことのない観劇を初体験。
不思議な気持ちと、
憎たらしいベトナムの蚊に囲まれる複雑な気持ち。
高校生くらいの子たちには、
ちょっと難しい内容らしいが、
日本語学校の子達は、
ずいぶん楽しんでいるようだった。
終演後は、
これまで以上に、
絶妙なタイミングで拍手が起こり、
そんなことでも、
空気を読んでもらえてうれしい気分になった。
ネットを通して紹介していただいた日本人学校の先生リエンさん。
素敵な女性で、
終演後に少しお話ができた。
なんというか、
満面の笑顔に、こちらが安心しきっちゃうような感じ。
とても芝居がおもしろかったとのことで、
これまた、うれしい。
実は、今回のコーディネーターのルーンさんも知り合いで、
フエでの通訳を手伝ってくれた子達も、
彼女の教え子だった。
こういう出会いは、
本当に大切にしたい。
ロビーに飾ってあった舞台写真が盗まれたり、
癪に障ることもあったけど、
それも、まぁ、
もの欲しさというよりは、
芝居の記念ということだろうと解釈し、
受け入れてくれてるんだな、と思った。
もとベトコンで、
フエ王朝の末裔という作家も、
ずいぶん褒めてくれていたようですし、
フエの演劇人で、
自らも『セチュアンの善人』を演出したという女性も、
ブレヒトの精神が存分に生かされた舞台だったと話してくれた。
余談だけど、
彼らには、ハノイやホーチミンとは違う、
由緒正しいベトナムの文化中心だという自負があるのだろうか、
そんなプライドを話の端々に感じた・・・。
バラシも深夜1時を覚悟していたけど、
30分早く終わって、ほ。
劇場の人が、
ほぼ手伝ってくれないという、
なんか微妙な感じだったけど、
一緒に公演で回ってくれている青年劇場のスタッフが、
なんとも心強い。
あっという間の公演だったので、
もう少し余韻に浸りたかったけど、
フエの公演は、
無事終了しました。
↓楽屋にあった、マルクスとレーニン。
今日はゆっくりな劇場入り。
僕は、くまに誘われて、
フエの革命家、ファン・ボイ・チャンの石碑を見に行く。
フランス植民地時代に、
フランスからの独立を目指し、
日本に留学していた人。
日本の静岡の医者・浅羽さんが、
彼の留学を援助したという。
しかし、残念ながら日本がフランスと同盟関係となったため、
日本を追われ、
中国でも同様に革命を目指したが、
受け入れられずに帰国し、
故郷フエにて軟禁された。
フエでは、彼の釈放を求めた女学生たちのデモが起こるなど、
社会的に影響力のあった革命家であったが、
志半ば1940年に軟禁されたフエで死んでしまう。
中には石碑のほかに、
若干の写真と日本語の説明、
今まで聞いたこともない、
日本とベトナムをつなぐ歴史だった。
その後は、市場をのぞいたりシクロで移動したりしながら、
昼食。
そして、劇場入り。
何事もなく、場当たりまでみんな時間をもてあますくらいだったが、
ここへ来てトラブル発生!
スライドがきちんと映らない。
ハノイとは違う機材のため、
調整のせいかと思いきや、
PCからの信号のせいだとわかり、
いじっていたら、何とかスライドに文字が収まった。
ほっと一息もつかの間、
そのPCの持ち主のスタッフが、
メールチェックのために一度接続をはずしてしまったため、
設定が元に戻ってしまった!!
どこをどういじっても直らない・・・。
開演まで1時間ちょっと・・・どうする!!
スタッフは、プロジェクターのせいだ、何だと言ってるが、
明らかにPCからの信号のずれだと思う。
でも、ココでそんなことをいっても始まらないので、
覚悟を決めて、スライドのサイズを治すことにする。
スライドのベースの形を変え、
1000枚以上をチェックしながら、
はみ出た文字を修正していく。
開場時間になっても半分もいかない。
開場時間を遅らせ、
結局客入れをはじめても、作業続行。
開演時間を5分、
そして・・・10分押し。
まさに開演ぎりぎりで、
何とか最後まで行く。
スライド操作は、
使われてないオケピットでの作業で、
とにかく、蚊に刺されまくる。
腕中が痒くなるも、
袖からほっとした息が聞こえてくると、
何とか間に合ってよかったな、と思う。
今日の客層は、
高校生くらいの子たちと、
フエの知識人・文化人、
そして日本語学校の生徒さん。
1500くらいのキャパの劇場で、
1階が8割以上埋まっている。
ハノイとはまた違った、
雑多な空気での公演。
2階から見下ろすように観ていたが、
蚊だけでなく、鳥が飛んでたり、
ねずみが走り回っていたりと、
経験したことのない観劇を初体験。
不思議な気持ちと、
憎たらしいベトナムの蚊に囲まれる複雑な気持ち。
高校生くらいの子たちには、
ちょっと難しい内容らしいが、
日本語学校の子達は、
ずいぶん楽しんでいるようだった。
終演後は、
これまで以上に、
絶妙なタイミングで拍手が起こり、
そんなことでも、
空気を読んでもらえてうれしい気分になった。
ネットを通して紹介していただいた日本人学校の先生リエンさん。
素敵な女性で、
終演後に少しお話ができた。
なんというか、
満面の笑顔に、こちらが安心しきっちゃうような感じ。
とても芝居がおもしろかったとのことで、
これまた、うれしい。
実は、今回のコーディネーターのルーンさんも知り合いで、
フエでの通訳を手伝ってくれた子達も、
彼女の教え子だった。
こういう出会いは、
本当に大切にしたい。
ロビーに飾ってあった舞台写真が盗まれたり、
癪に障ることもあったけど、
それも、まぁ、
もの欲しさというよりは、
芝居の記念ということだろうと解釈し、
受け入れてくれてるんだな、と思った。
もとベトコンで、
フエ王朝の末裔という作家も、
ずいぶん褒めてくれていたようですし、
フエの演劇人で、
自らも『セチュアンの善人』を演出したという女性も、
ブレヒトの精神が存分に生かされた舞台だったと話してくれた。
余談だけど、
彼らには、ハノイやホーチミンとは違う、
由緒正しいベトナムの文化中心だという自負があるのだろうか、
そんなプライドを話の端々に感じた・・・。
バラシも深夜1時を覚悟していたけど、
30分早く終わって、ほ。
劇場の人が、
ほぼ手伝ってくれないという、
なんか微妙な感じだったけど、
一緒に公演で回ってくれている青年劇場のスタッフが、
なんとも心強い。
あっという間の公演だったので、
もう少し余韻に浸りたかったけど、
フエの公演は、
無事終了しました。
↓楽屋にあった、マルクスとレーニン。