空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

漫画描きの人たちの言葉が重く示唆的で

2017-03-07 00:35:25 | Weblog


 研究テーマを選んだり、選びなおしたりするときに心がけたい。



 これ、学者―というかその辺の先生たちにも言うべきだなあと。

 大大学で院生時代にやってた研究こそが研究というものであると堅くこころに信じているらしく、かたくななまでにそのジャンルに固執する。
 なお、設備の無い地方辺境校ではそんな研究ができない。そこで「教育に特化する!」といいつつ、その教育研究を軽んじる。えええ? 学生と一緒に楽しくやればいーじゃん?

 そーでなくてだな…といろいろといいたいことがたまっていく今日この頃。

 で、「研究とはッ」「学生に研究なんてできないんですよー」とか、まあ立派な学問論をぶちあげたりするようなのだが―



 方法論に優れた人は方法論を論じない。そういうことだろう:



 …がくもんできるの? すごーい! じゃあがくもん、やってみてー!
 って感じだろうか。息をすってはくように、有能な人は学問をするんじゃなかろーか。
 …という言葉は、えらく攻撃的に聞こえるようだ。”だって予算が””だって時間が”云々と言う言葉はよく聞く。しかし―







 いろいろ、工夫と努力が必要なのじゃないかな、と思わされる。
 心が痛くなってくるような、そんなお言葉たち。







 回り道と見えるものでも、まあきっかけなりなんなりになればいいじゃないか、「~で無ければならぬ」ではなく、もし仕事できるなら
もう仕事しちゃえよ、そうでなければ、まあちょっときっかけでも掴めばいいんじゃない?と。



 …ほんとは、そうした楽しさ、ほんの僅かの知的快楽からスタートしたんだろうにね。その喜びを忘れてしまったのだろうか、皆。





 さ。仕事しようじゃないか:





 平日深夜(23:00過ぎ)や(業務等のない)土日(のいずれか)ないし土日の夜~深夜を使えば10時間の捻出はわりにできる(※実測値)。問題はそれすら許さないような繁忙期とか学生が問題起こした場合とか学生が単位(ry
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