「艦隊これくしょん」というゲームをご存じでしょうか。
艦隊を女性キャラに擬人化したゲームなんですが、フロイト先生的には、そこから生える「主砲」は、やっぱり男性そのものの象徴なので、「女の子にそれを生やさせて他の女の子を倒したい」という非常に複雑な心理が隠れていると考えられます。
— ゆうきゆう◆精神科医&マンガ家 (@sinrinet) 2015, 5月 27
ところで印欧語的にはざっと4千年前ほど前から「船」は女性形であった(だいたい私が知る限り)。
また、当時の船というのはおそらく、素材や技術の限界から、植物の笹の葉のような形をしていたものかと思われる(適当)。
そして「敵」の船をみた場合、比較的近年の用語で言えば「衝角戦」をしただろうとも想像される。
してみると、あまり幅の広くない笹の葉のような「女性」が、同様にさほど幅の広くない笹の葉のような「女性」にその角を叩きつけるということで、こうした状況はフロイト先生的に考えると、比較的若年の女性同士の性的な行為の隠喩暗喩
同性愛はいかんぞ!非生産的な!(※引用)
そういう言葉を真とし、上掲ツィートの分析(の前半部分)を正しいとするなら、我々人類は数千年の時を経て(女性の)船に男性器を付与し、異性愛への「健全な」「着実な」道を辿りはじまったわけであり、むしろその点ではプラス評価すべきということになるだろう。
我々人生の歴史は長い。我々は、性急に”正しい”見解を求めるのではなく、ゆっくりとではあれ、着実に我々の迷妄を正してゆくべきなのではあるまいか。もう数世代たてば、いますこし正確な理解を得ることになるだろう。
萌芽はドイツ艦にみられる。男性の名を持つマース・クラスは男の娘にみえそうではないか。
しかしやはり駆逐艦であって、そうしてみるといろいろとサイズも小さい。
密かに案ずるに、次の深化/進化の鍵は艦橋にある。
言語的な検討をしてみればよい。艦橋には「そそり立つ」という形容がつくではないか。「そそり立つ」で画像検索を掛けてみよう。そうするとアレがでてきたりどう見てもアレだったり。
そこでこう思われる。
船が女性名詞なのはいかんともしがたい。だが艦橋なら、艦橋なら艦の中央部にあってそそり立つ艦橋なら、しかも戦艦の立派な艦橋なら・・・!!
しかしこまんどーぶりゅっけは女性名詞なので、びすまるのおっぱいが超おおきいのは言語的にも正しいことになる。どっとはらい。
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