面白げなお話を採取したのでメモ:
原稿料をもらって文章を書くようになってから編集さんに言われた「この“武張った”とか“大時代的な”ってなに?こんな言葉ないよね?書き間違えたの?きみが考えた言葉?」は、いまだによく覚えています。
— 坂東真紅郎@隠居中 (@sinkurou) 2019年3月5日
その昔、「出不精」が通じなくて、「デブ症?何?自己紹介?」みたいな反応されたことあったな…
— 島田 フミカネ (@humikane) 2019年3月5日
「一軍に匹敵する」を野球じゃないんだからと指摘された日のことはいまでもたまに夢に見ます。
— 夕凪@B級眼鏡 (@yu_nagi2) 2019年3月5日
うちの親分、田中芳樹というのですが、以前、校閲さんから「リビングボード」に朱書き(鉛筆書きではなく)で「サイドボード」と修正指示が入って、「安達くん、リビングボードってあるよね」と電話を掛けてきました。ゲラに家具屋のチラシでも貼っておけば?と返しました。
— 安達裕章 (@adachi_hiro) 2019年3月6日
編集が無知なのもアレですが、決めつける前に辞書位引けよと言いたくなりますな(自分なら多分言ってる)。
— 空談師 (@CAIRN0114) 2019年3月5日
私@辞書を総動員して仕事するスタイル。
しかしある種の人たちは、自分の心に映ったものが真実、という思想らしく、私のほうが狂人として排除されたのであった。校正と校閲と研究との差はちゃんと知ってて欲しいなあとか。
返却にきた図書館では『本たちが泣いているッ!』といった恒例の企画展が。特筆は校正マンを気取った落書き、ご丁寧に「私ならこう表現する」と、下手くそな文字で添削している。犯人像もプロファイリングし難い、愚行。
— ひょうたん鯰 (@hyou_namazu) 2018年10月23日
高松中央図書館 pic.twitter.com/hWp1FBCvJ8
…私をこの手の人だと思ったらしいのだな、某一部の約二名。
まあ思い出話はともかく。
有名事例:
新潮社の校閲は、あいかわらず凄い。小説の描写でただ「まぶしいほどの月光」と書いただけで、校正の際に「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」とメモがくる。このプロ意識! だからここと仕事をしたいと思うんだよなー。 twitter.com/kotaism/status…
— 石井光太さん (@kotaism) 2013年5月4日
これは良い仕事。
絵描きさんでもこの種の「校正」があると聞く。『●月△日のイベント絵ですけど,シナリオでは●月□日に満月なのでこの形の月はあり得ません』とか。
新潮社の校閲者の仕事ぶりが話題になっていたけど、そうか、ふつうの人は、そういうプロセスを経て本ができることを知らないのですよね。ネットと電子書籍の時代の「出版社不要論」が、随分乱暴な話だということに気づいてもらえると嬉しい。
— Tsutomu MIZOGUCHIさん (@mizo2106) 2013年5月6日
他方、小規模の出版社も多く存在しており、そういうところではなかなか細部まで手が回らないよね……、と思わざるを得ないこともある。だから間違いがあって良い、という話ではないが、内部事情を知ると、責める気にはならない。自分が書く物については自分で気をつけるしかないと思うことにしてる。
— Kamei, Gentaroさん (@gk1024) 2013年5月6日
でまあ、著者さんの能力が足りないとか、著者さんが依頼した同僚の能力が足りないとかで困っちゃう表現等が表に出ることがあり、先日そうした例を著者に指摘したのであった。
…某訳書は、今からでも回収するとか、今から改訂版を用意するとか、すべきだと思う(日記)。原著にない、しかも間違った語釈を出すとか…。
たとえば「すいません」という表記を見て反射的に間違っていると判断し「すみません」と赤字を入れるのは簡単。でも、会話の中で「すいません」と言うのは普通ですよね。書き手はあえてそう表記してるのかもしれない。それを「間違い」と決めつけて赤を入れたら? 相手はムカッとしますよね。
— 鷹野凌@日本独立作家同盟 (@ryou_takano) 2018年5月10日
これは分野的特色が入る。ここは専門家なり、センスのいいひとなり、その作品をかっちり読み込んだ人が任にあたるべきだろう。
しかし私が先日指摘した例は、外国語の知識に関わるものであり、根本的に訂正すべきものであった。いやたとえばrightとだけ書いてあるのに対して「光(right)」と書くようなレベルだった。
自分の文章に他人から赤字を入れられることに慣れていない人が多いので、校正で指摘や確認する文章には細心の注意が必要です。ほんと、めっちゃ気を遣います。慣れてない人が校正やると、まるで攻撃されたように感じられてしまう可能性があります(一般論です)
— 鷹野凌@日本独立作家同盟 (@ryou_takano) 2018年5月10日
一般論としてそのとおりなのだが。
フリーになるときに「校正も商売メニューになるのでは」と思って、お試しで一般の人の文章に赤入れをして感想を聞いたことがあります。やっぱり「間違いを攻撃された」「人格を否定された気がする」など想像以上に心理的なショックが大きいとわかり、メニューに入れるのをやめました。 https://t.co/hiaMJjKXL5
— 丘村奈央子 (@okmr09) 2018年5月11日
↓RT 前職の同僚の1人が、やはり赤を入れられることに慣れていなかった。「こんなに赤が入った…」と凹んでいたので、私と別の同僚で「いやこれはとても親切だよ」「この赤の所だけ直せばOKってことじゃない」と口々に言ったら、「あ…、そういう風に考えるものなんだ!」と驚いていた。
— 飯島明子 (@a_iijimaa1) 2018年5月12日
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