親や世間が気にするのは「博士教員が受験指導できるのか」がいちばんなんだろうからそこを「博士は試験に最もたくさん合格してきた人」というイメージ戦略で。
— PsycheRadio (@marxindo) 2018年5月10日
普通の学士先生たちより出題者に近いです。能力的にも、指導の観点的にも。
普通の学士先生たち(例えば26歳、採用後4年目)は、まず確実に博士先生(26歳博士、未就職)より受験指導知識が豊富でしょう。なにしろ4年間、実務してますから。1年後でも、受験指導知識では学士先生が上でしょう。では2年後、3年後、4年後ではどうだろう?
また、博士先生は、『なんでこの問題の答えはこうなるのか』という知識・理論構築に優れているだろうことが期待されるでしょう。いやまあ、学士先生も、模擬テスト会社から配布される資料を見れば同じ答えができるとか、教科書ガイドを使えばいいとか、あるでしょうが、そういうのの背後にある、あっちこっちの教授さんの知識の、実はその一部は、君の目の前にいる「役立たずの博士先生」の業績だったりするのですね。
博士課程以降の人に、なるべく多くの逃げ場を与えたほうが良いと思うけど、博士だからって免許なく教員になることは反対です。教育には教育の専門性があります。大学の先生の教え方の下手さをみれば分かるでしょう。実際に被害にあうのは現役高校生です。そんなの容認できるわけありません
— たかはしけい / Takahashi K (@KayT0309) 2018年5月12日
まるで教員免許をとったら教育が上手くなったかのようないい様だな。
まるで高校の先生が教え方うまいみたいな言い方だな。 https://t.co/jpL697UnED
— takash (@takash4) 2018年5月12日
でまあ、「どっちもどっち」論をしていてもろくでもないわけだが。
そこで、最低限の規範・技法を講義や実習(2週間とか4週間とか)で教え、せめて多少の知識と多少の経験をさせて教員免許を与えるわけであり、一応仮にも免許には意味がそれなりにあるぞ(あまりのスカは外してあるぞ)、というわけだ。
さらに採用試験で10分の1とかに精鋭化された、それが我々教員である! という職業的プライド、自負は理解する。が、話題の博士教員(※免許なし)も結構な倍率で削っているようであり、この点で「博士教員なんか…!」というと、二つの点でブーメランになるので辞めておいたほうがいい:
1) 同様の採用制度・採用試験・試験官を準用してたりするわけで、その関門を越えてもどーせスカ、と断言する場合、その同じ試験官たち・基準で採用された現行の教員たち(学士)もどーせスカということになりかねない。
2) 「教育経験もない素人が…!」とスカ・無能と言いたい気持ちは多少わかりますが、だったら初年度の君たちも素人のスカ・無能だったわけですね?ということに。
そうして、右も左もろくろくわからんような素人を周辺の先輩たちが教えてくれた…ということになろうし、すると
3) 君は後輩を指導する能力がない点で、明らかに君の先輩たちより劣るわけだから、無能が確定したお前はさっさと後進に道を譲れ
といういやげな攻撃を受けかねない。
そういうわけで、博士で教員免許をもっている私をいい条件で雇うといいぞ。教育実務もまあ十分だし、学術業績も、これで不足と言ったら即死者多数だぞ。
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