八幡和郎先生の徳島文理大着任が2004年。普通にやっていれば、研究者として一から学び直し、それなりの成果を挙げることも可能だったはず。それをやらなかったのは、怠慢か、御本人に研究者としての適性が無かったのか。呉座勇一先生が大学院に入ったのが04年だから奇しくもスタート地点は同じだった。
— ジツーニ・バ・カダーナ (@tahataha105) 2019年3月25日
呉座勇一と八幡和郎、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い(なのかもしれない??)
— ジツーニ・バ・カダーナ (@tahataha105) 2019年3月25日
まあそうなるな、という感じの評。
歴史学徒で非研究者の間で呉座先生が人気なのって、井沢氏とか八幡氏みたいに「トンデモ歴史とか(司馬史観とか)をしたり顔で講釈してくる年上で職位の高い人」に一度ならず遭遇していて、くっそうぶった切りてえと思ってもできなかったり、ぶった切ったら不興を買ったりした経験があるからではと思う。
— えすぺろ (@s_vjsl) 2019年3月25日
マジそうですよねという感。
だってほんと、時間の無駄を強要して来るんだもん。
「君ぃ、坂本竜馬の暗殺の新説についてしっとるかねぇ?」とか。おまえ文学博士になに言ってんだ、とか思うが。あと、ひどい纏め方をすると、死の商人がひとり治安戦の一環で片づけられたからって、歴史の大問題になんぞならん。なんでそんなもんに延々時間をさかにゃあならんのだ、しかも何重にも又聞きバージョンで。こっちはさくっと読んどるわ、とは。
“リスクを取れない理由のひとつは、管理職の研究者たちが、最先端の技術を理解できていないから…年をとって偉くなると勉強しなくなるパターン” 創薬ベンチャーのトップ研究者に聞く https://t.co/0yVyshgP8p まさに。研究に限らず、日本の成果がダメになった理由の一つがコレだと自分も思います。
— Yuta Kashino (@yutakashino) 2019年3月22日
…いやほんとそのとおりですよね、という感。
「オジサンたちの勘違い
— インターネットは悪い文明 (@civil_destroyer) 2019年3月28日
・コミュニケーションが苦手な若者が増えた→x
・オジサンたちとの共通の話題が消失している→o」
仕事がPCの中に入って途中経過やノウハウが見えなくなった、っていうのはホントそうなんだと思うわ。
おしゃべり・雑談もネットの中で行われてたりするわけで。
まあ井戸端会議とか、床屋政談水準なら、なんぼでも・自分がしなくてもフォローできる。なので、個々の能力がより問われるようになる。
のだろうが、そのへん、わかってない老害たちは、自分とお話することがとりわけ重要であるとかいう思いに囚われ続けているものだろう、とか。
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