空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

LGBTと(元)新聞記者の所論と「俺の認める被差別者のみが良き被差別者」論法と

2019-08-18 16:14:25 | ノート
 ノートを掘り起こし、アップロードしておく。まあその、いろいろと必要になってくるかも、という感じなので。



 …ああ、LGBTというのは政治的概念だというわけなのか。

 …いやあ…不味いんじゃないかなあ、「隠れホモ」、隠れゲイが別に隠れずに済むような認知が得られればなあ、ということなのと違うかなあ。「隠れホモ」にカムアウトを強要するのもえらい強圧的なのではないかなあ…。
 …このあたりの権力のマズさを自覚できない権力者たちの権力性(とその罪)を指摘できるようになったのが哲学の進展なのじゃないかなあ。

 なんつーか1960年くらいまで?の「資本主義者は皆、敵で悪☆ 共産主義者は悪の資本主義者をどつく正義の拳だから正義の実力行使が悪なんてことありえるはずがないじゃない☆ さーぁ人類の敵たる資本主義者を吊るそうze☆ え? 正義の僕らに味方しないなんてこと…あるはずないよッ★ ああっ! さては貴様はブルジョアの犬だな!! 吊るしてやるっ!!!」みたいなノリ、なんでいまさら復活させたりすんのかな…。

 実のところ、この手の人たちよりプリキュアのほうが理念的に優れているので、それで育つ新世代に期待したい私である。




 自分の商売のタネになる限りにおいて、という条件節が入っているとみてもよいかも。

【LGBT問題】
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