一応、ユサフザイは成長途上の年頃なので、機会を善用して立派に育つ可能性もあることは念頭に置きつつ
それはそうだろ。ユサフザイが成長の機会を捉えず,消費されるだけで終わる可能性を十分織り込んだ上で,その上でノーベル平和賞だの与えて客寄せパンダに使っている(個人的には,本人がそれに気付くくらいには有能であることを祈っている―彼女自身で、自身の成長のチャンスをつかめることを祈っている)。
彼女自身に対しては非常に罪なことであろうが,それでもそれで実現される正義の可能性が大いにあるということでやっちゃったわけだろう。
読売新聞 ノーベル平和賞、マララさんのスピーチ全文 2014年10月12日 23時22分
二、三行流し読みしただけでも、それなりに当人の希望や主張を組み込んで仕上げたものと推測可能と思う。
まあ、そうでなくて全文誰かの作文で、彼女がそれを読まされただけなんだとしても、これ読んで意味が多少なりと理解できれば、相当いい線の成長できるんじゃないですかね。
アゴラ 政治 マララ氏はテロ支援者―教育先行はテロを生みだす 站谷 幸一
「むしろ、教育先行はテロを助長するのではないか。そして彼女はテロ支援者というべきではないか」
人を驚かすようなことを言ってひきつける手法。
「これは第一に、テロの首謀者としての問題意識を抱くには、相当の教養が必要だということを認識する必要がある。つまり、貧困者が貧困を自覚し、構造的暴力を受ける者がそれを自覚するのは、相当教養がないとできないのである」
基本、そこまでの教育はユサフザイの話では考えられていないだろう。
「第三の教育がテロを生みだす理由は、教育はプライドを育てるということである。大学や大学院を出て、パン工場のライン労働者になりたい人間は稀有だということだ」
そりゃ私だって大学院を出るとき(というか、博士が出たとき)は涙をこらえながら、もう一生これを引き出すことはないんだろうなあと思いながら研究資料をダンボールに詰め込み、そしてプラスチック製品製造工場の求人や道路工事の警備員の募集をチェックしたが。
しかし、ユサフザイが問題とする「女子教育」って「具体的には、茶碗工場でも玩具工場でも何でも良いので、確実な消費が見込まれるが教育はほとんど不要な雇用」を可能にする程度の教育くらいをさしている。まずは。
我々日本人が当然のものとして享受している程度の、小中学校程度の教育。まあちょっと英語がわかって、ハロー、ミスター、ハワユー? アイキャンヘルプユー、ワットスィングドゥユゥワント? オー、ブレァッド、オーケー、オーケー、ジスイズスペシャルスウィートデリシャスオイシヨー! とかって言って、進駐軍に小商いして小銭稼げたりするような、あるいはかなーり高級な線でいけば、ウィンドゥスが最低限要求する英語を(辞書引きながらでも)理解する能力。
それすらダメだとか。
バスに乗って学校に通っていたら顔面に硫酸ぶっかけられるとか。
中学生程度の子供が同級生に(小商いする程度だろう)英語を教えてたら、校庭に引きずりだされて銃殺されたりとか(これはアフガンだったか)。
学校に行って寮で同級生と試験勉強してたら、学生全員まるごと誘拐されたりとか(ナイジェリアだな)。
茶碗工場、玩具工場で、上位者の指揮に従って作業をするということだけですら、学校教育でそれなりに「上位者の命令に従う身体」を作り上げてからでないと、割とつらかったりとか。
そういうことを理解したうえで書くべきだろう。
なお社会学者だとかなんて生き物は、わりと反資本主義みたいなことを思ったりするが―それがインドのBJPの草の根運動の調査に行ったりすることがある。するとBJPの地元指導者が、一般のわかいのんにラジオ体操をさせようとするのに出くわしたり。ところが、みんな、できない。そこで地元指導者が『おい、ジャパニ、ちょっと手本を見せてやってくれ!』とかいうのでやって見せると―
…極めて上手にこなす。それで、『みんな、みろ、このジャパニみたいにやるんだ、さあ!』と言われちゃう。
身体にしみこまされた、資本主義体制下の労働者として、いつでも軍隊に徴用されて兵士になる準備のできた、そんな権力の意志。自分はそれを分析し、批判する立ち位置のはずなのに、『嗚呼! インド人民は、いままさに権力の膝下に収められようとしている!』とか書けるのかなとか思ったりしたはずなのに、実はその自分のほうがばっちりしっかり権力の意志を身体に刻み付けてしまっていて、ソレに気づいて苦笑する。
我々はそんな風に、すでに仕込まれたあとの状態をもっているのであり。
そこの辺に自覚的でないと、なんか変なことを言ったりする。
つまり、この例に挙げたエッセイストのように。「需要のないところに教育しても、余計な知識とプライドを作り上げ悲劇を生むだけなのですが…」、そう、「余計な知識とプライドを作り上げ悲劇を生むだけ」に陥ることも多々あるのである。
ということである。
だぶん問題のヒトは、「なんで輸出産業なんて話になるんだ!」とか言って逆切れすると思うけど。
つまるところマララはよどみない国際公用語(英語)で話すタレントとして便利なパイに使われ消費されかかっているのが関の山と思う。経験で学力は身につかない。仮に政治指導者の道を歩むとしても、高校生レベルの分別では所詮早晩限界のため行き詰まるのは目に見えており、罪な事をするものと思う。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2014, 10月 14
それはそうだろ。ユサフザイが成長の機会を捉えず,消費されるだけで終わる可能性を十分織り込んだ上で,その上でノーベル平和賞だの与えて客寄せパンダに使っている(個人的には,本人がそれに気付くくらいには有能であることを祈っている―彼女自身で、自身の成長のチャンスをつかめることを祈っている)。
彼女自身に対しては非常に罪なことであろうが,それでもそれで実現される正義の可能性が大いにあるということでやっちゃったわけだろう。
読売新聞 ノーベル平和賞、マララさんのスピーチ全文 2014年10月12日 23時22分
二、三行流し読みしただけでも、それなりに当人の希望や主張を組み込んで仕上げたものと推測可能と思う。
まあ、そうでなくて全文誰かの作文で、彼女がそれを読まされただけなんだとしても、これ読んで意味が多少なりと理解できれば、相当いい線の成長できるんじゃないですかね。
アゴラ 政治 マララ氏はテロ支援者―教育先行はテロを生みだす 站谷 幸一
「むしろ、教育先行はテロを助長するのではないか。そして彼女はテロ支援者というべきではないか」
人を驚かすようなことを言ってひきつける手法。
「これは第一に、テロの首謀者としての問題意識を抱くには、相当の教養が必要だということを認識する必要がある。つまり、貧困者が貧困を自覚し、構造的暴力を受ける者がそれを自覚するのは、相当教養がないとできないのである」
基本、そこまでの教育はユサフザイの話では考えられていないだろう。
「第三の教育がテロを生みだす理由は、教育はプライドを育てるということである。大学や大学院を出て、パン工場のライン労働者になりたい人間は稀有だということだ」
そりゃ私だって大学院を出るとき(というか、博士が出たとき)は涙をこらえながら、もう一生これを引き出すことはないんだろうなあと思いながら研究資料をダンボールに詰め込み、そしてプラスチック製品製造工場の求人や道路工事の警備員の募集をチェックしたが。
しかし、ユサフザイが問題とする「女子教育」って「具体的には、茶碗工場でも玩具工場でも何でも良いので、確実な消費が見込まれるが教育はほとんど不要な雇用」を可能にする程度の教育くらいをさしている。まずは。
我々日本人が当然のものとして享受している程度の、小中学校程度の教育。まあちょっと英語がわかって、ハロー、ミスター、ハワユー? アイキャンヘルプユー、ワットスィングドゥユゥワント? オー、ブレァッド、オーケー、オーケー、ジスイズスペシャルスウィートデリシャスオイシヨー! とかって言って、進駐軍に小商いして小銭稼げたりするような、あるいはかなーり高級な線でいけば、ウィンドゥスが最低限要求する英語を(辞書引きながらでも)理解する能力。
それすらダメだとか。
バスに乗って学校に通っていたら顔面に硫酸ぶっかけられるとか。
中学生程度の子供が同級生に(小商いする程度だろう)英語を教えてたら、校庭に引きずりだされて銃殺されたりとか(これはアフガンだったか)。
学校に行って寮で同級生と試験勉強してたら、学生全員まるごと誘拐されたりとか(ナイジェリアだな)。
茶碗工場、玩具工場で、上位者の指揮に従って作業をするということだけですら、学校教育でそれなりに「上位者の命令に従う身体」を作り上げてからでないと、割とつらかったりとか。
そういうことを理解したうえで書くべきだろう。
なお社会学者だとかなんて生き物は、わりと反資本主義みたいなことを思ったりするが―それがインドのBJPの草の根運動の調査に行ったりすることがある。するとBJPの地元指導者が、一般のわかいのんにラジオ体操をさせようとするのに出くわしたり。ところが、みんな、できない。そこで地元指導者が『おい、ジャパニ、ちょっと手本を見せてやってくれ!』とかいうのでやって見せると―
…極めて上手にこなす。それで、『みんな、みろ、このジャパニみたいにやるんだ、さあ!』と言われちゃう。
身体にしみこまされた、資本主義体制下の労働者として、いつでも軍隊に徴用されて兵士になる準備のできた、そんな権力の意志。自分はそれを分析し、批判する立ち位置のはずなのに、『嗚呼! インド人民は、いままさに権力の膝下に収められようとしている!』とか書けるのかなとか思ったりしたはずなのに、実はその自分のほうがばっちりしっかり権力の意志を身体に刻み付けてしまっていて、ソレに気づいて苦笑する。
我々はそんな風に、すでに仕込まれたあとの状態をもっているのであり。
そこの辺に自覚的でないと、なんか変なことを言ったりする。
つまり、この例に挙げたエッセイストのように。「需要のないところに教育しても、余計な知識とプライドを作り上げ悲劇を生むだけなのですが…」、そう、「余計な知識とプライドを作り上げ悲劇を生むだけ」に陥ることも多々あるのである。
途上国のために教育より労働とか言ってる人あり。毎日決まった時間に来て作業指示を理解して(ということは共通語が通じて)その通りに均一の動作を反復するという生活を年単位で続けられないと輸出産業のための労働なんかできないけど、そのためにどれだけの教育が必要だと思ってるんだろうな。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2014, 10月 20
ということである。
だぶん問題のヒトは、「なんで輸出産業なんて話になるんだ!」とか言って逆切れすると思うけど。
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