「自分のアタマで考える」とか「自分で問題を発見し、解決のためのアプローチができる人材」といった文言が、ゼロ年代前半から大学や企業のパンフに躍るようになったが、往々にして、「自分の頭で考えたこと」はこうなっていることが多い。 pic.twitter.com/fvORPOuXzU
— 如月 宗一郎 (@S_kisaragi) 2015, 8月 14
高校までの勉強は、既存の定説、つまり人類の過去の蓄積を効率よく習得するのが目標。大学での学問は、まったく違う。人類の知のフロンティアを拡大する、従来常識や定説となっていたことを打ち壊し、よりよい仮説で置き換えるということ。そのための能力を身につける訓練をするのが、大学生活。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2015, 7月 15
「お前の人生に三角関数が必要かどうかは分からんし、お前の人生だから好きに決めろ。でもいきなりそう言われても何が必要かとかわからんだろうからとりあえず今までの人類にとって有用だった知識はカタログとして用意しといた」が義務教育だと思ってます。
— masuwo3 (@masuwo3) 2015, 8月 28
基礎教育っていうのは、一言でいうと昔のエラい人たちが発見・発明してきた原理を学び、3000年ぶんくらいの文明の叡智を10年そこそこで吸収することだよ。必然的に暗記中心だよ。逆にいうと、基礎教育を軽んじることは、3000年ぶんの人類の叡智を軽んじることだよ。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2015, 5月 6
でまあ、小中~高校くらいの基礎ができていなかったりすると現場が大変。
未だに「私大の学費に合わせて国立大の学費を値上げしよう」などと言う人がいるので、OECD34か国の授業料と給付型奨学金の有無の表を。授業料が有料で給付型奨学金がない国は日本だけ。なお日本の奨学金はサラ金より少しマシ程度の金利の借金。
http://t.co/o7Dd7tieTV
— シータ (@Perfect_Insider) 2015, 5月 12
財務省が、国立大学の授業料を私立大学並にとか、義務教育の教員定員の削減を、と主張しているが、これは厳しい財政状況を反映したものだ。現在のように政権が増税に後ろ向きだと、財源は選挙に影響が小さい受益者負担という形にならざるを得ない。だが、これでは教育の機会均等が失われてしまう。
— H. TSUJI (@galois225) 2015, 5月 13
要するに、安倍政権が増税に後ろ向きのため、教育のように広く薄く負担すべきものまで受益者負担になってきているわけで、増税を封印された財務省は、悪役を買って出ざるを得ない状況に追い込まれている。このように受益者負担が強まると、富の再分配機能が低下して、格差が一層広がってしまう。
— H. TSUJI (@galois225) 2015, 5月 13
「ない袖はふれない」ではあり。
「教科書なんか一人で読める、大学の講義なんか無意味」という論者の人でも、理系の大学の研究室での研究経験を否定する人は少ないだろう。だが、単に研究チームに参加するのと、自分が世界トップレベル研究を責任もって任されることと、その間にもう一段階大きな差がある。きっとある。
— Hjδεka2u H1γοακj (@piyota0) 2015, 2月 13
こういうとき、「理系の研究室…」と、「理系」が特に言及されるのをよく見るように思うが、世間の文系の研究室というのは、そこまで研究しないものなのか。この辺、すっごい疑問に思う―個人的には。うちの研究室では、私程度でもまあそこそこ戦える程度まで教育されたけどなあ。
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