毎日新聞 「難病児、養護学校が合う」 発言の教育委員辞職 2018年8月31日 06時30分(最終更新 8月31日 06時30分)
「兵庫県宝塚市教育委員の男性(72)が市内の公立小学校を訪問した際、難病で人工呼吸器を利用しながら通学する4年生女児(9)の母親らに「養護学校の方が合っているんじゃないの」と発言していたことが分かった。周囲の児童が女児を通して思いやりの心を学んでいるとの説明を受けると「みんな優しいんやね。中には『来んとって』という学校もあるからね」と述べた。一連の発言について市教委は「差別」と認定、委員は辞職した」
まあ辞職は妥当。
「障害者差別解消法が2013年に制定されたのを受け、文部科学省は、子供の就学先について、障害の種類で振り分ける「分離別学」を改め、「保護者の意向を最大限尊重する」と通知している」
なので、できるだけ・資源の許す限り・事情の許す限り・病状が許す限りで「保護者の意向を最大限尊重する」べきなのは大前提。
ところで「女児は全身の筋力が低下する脊髄(せきずい)性筋萎縮症を患い、人工呼吸器を手放せず、たん吸引などの医療的ケアが必要」であり、割と…というか相当の困難がある。「市の就学指導では「養護学校が適当」と判定された」とあるが、うん、そりゃあまあ、まずはそう言いたくなるでしょうよね、管理側としては。医療関係者の配置についても、この子の専属看護師を配置するより、同程度の困難の子たちを数人あつめて対応したほうが人件費的にありがたいだろうし。
しかし「その後、両親が小学校に看護師を配置するよう市長に直接要望するなど、市側と交渉を続けた結果、15年に同市で初めて看護師を配置した小学校に入学した」というのは、様々な可能性に開けた、これはこれで素晴らしい・大胆な・意欲的な取り組みである。
これに対して
「元委員は6月1日、小学校が地域に向けて開いたオープンスクールを訪問。教室で女児が看護師のケアを受けている様子に「大変やねえ。環境も整っている養護学校の方が合っているんじゃないの」と話した。母親が「本人がこの学校に行きたいと言っているので」と答えると、元委員は「本人はそうかもしれないけど周りが大変でしょう」と発言した」
という、『周囲が困るでしょうよねえ?!』という脅迫に通じる排除の言葉は明らかに不適というべきだろう。なにしろ冒頭にもあるように「周囲の児童が女児を通して思いやりの心を学んでいるとの説明」があり、まあ直接、周囲の児童の意見をヒアリングしたわけではないにせよ、周囲の児童には好ましい影響があるのだという説明があったわけである。それを単に無視するのは「現場軽視」といえよう。
非常に単純な話である。「保護者の意向を最大限尊重する」原則の下、できるだけ保護者(+当該児童)の意向は尊重する。しかしそれは、「絶対に実現せねばならない」という意味ではない。極めて単純な国語の問題である。
この児童の生活の質の限界はこの児童の病状の限界に従う。
したがって、この児童が普通のその辺の小学校に通学できる限界は病状の限界によって定められる。
コトが小学校である。
看護師がトイレだとか連絡とかで席を外した10分間に”ちょっとしたイタズラ”あるいはウッカリぶつかったことで人工呼吸器を外されてしまってもまあ問題なく生存できる程度なら、あるいはそれで痰がつまって死に掛けたりはしないとまず確言してよい程度なら、普通の小学校への通学もまあ可能ですよね、という話だろう。
だから、「周囲の児童が女児を通して思いやりの心を学んでいる」に対する”反論”は、「みんな優しいんやね」ではなく、「思いやりの心で医療行為はできないからね」である。
障害者だろうがなんだろうが、我々の社会を共に構成する一員であって、共に生きていくべきだというのは間違いない。しかし「思いやりの心」で指が生えてきたり、肝硬変がなおったり、失明した目が見えるようになったりはしない。これも単純に事実である(稀になんとかなるらしいが、発生次第、ローマ教皇庁に聖人認定申請がとどくくらいにはレアイベントである)。
まずは極めて、極めて単純に、この子の病状がなにをどこまで許すかに依存するのだ。
…あとまあ、看護師さんの職務の限界とかね。
なので、『周囲の人にご迷惑だと思わないのかね?』『いや、本当は迷惑だと思っているんじゃないかな?気付きなさいよ!』という忖度感情論は井戸端会議でやっててください、そういう自由はまあありますよね、ということじゃなかろうか。
…まあ、正直なところ、養護学校のほうが医療サービスの提供自体は安定的じゃないかなとは思う。少なくとも、トイレ休憩・食事休憩などの穴は少なそうだ。
だが、そうした健康上の(あるいは生命に関わる)リスクをおかしてでも、幼稚園時代以来の友達といるという生活の質を取ろうとしたわけであり、それはそれで見解である。そうした可能性が広がること自体は、我々総体の自由の拡大ではあり、その点では支持されるべきことのはずなのだ。
…まあ、そういう自由が利きやすい、大自治体様の住人様方は違いますな、というふうにも思うのだが(今の私はそうした大自治体様の住人様ではあるのだが、地元は”夢見るように活気の失せた”ような田舎なので…)。
産経新聞 人工呼吸器使う女児の母親に「養護学校の方が合っている」 兵庫・宝塚市教育委員が発言、差別認定 2018.8.31 11:33
産経新聞 宝塚市教育委員の後任に望月氏 著名漫画家の夫 差別発言辞任受け 2018.9.1 14:21
「兵庫県宝塚市は8月31日、「難病児は養護学校が合う」などの差別発言で辞職した市教育委員の男性(72)の後任に、コミックエッセー「ツレがうつになりまして。」などで知られる漫画家、細川貂々(てんてん)さんの夫で、漫画制作プロダクション「てんてん企画」社長の望月昭氏(54)=同市月見山=を充てる人事案を発表した」
「兵庫県宝塚市教育委員の男性(72)が市内の公立小学校を訪問した際、難病で人工呼吸器を利用しながら通学する4年生女児(9)の母親らに「養護学校の方が合っているんじゃないの」と発言していたことが分かった。周囲の児童が女児を通して思いやりの心を学んでいるとの説明を受けると「みんな優しいんやね。中には『来んとって』という学校もあるからね」と述べた。一連の発言について市教委は「差別」と認定、委員は辞職した」
まあ辞職は妥当。
「障害者差別解消法が2013年に制定されたのを受け、文部科学省は、子供の就学先について、障害の種類で振り分ける「分離別学」を改め、「保護者の意向を最大限尊重する」と通知している」
なので、できるだけ・資源の許す限り・事情の許す限り・病状が許す限りで「保護者の意向を最大限尊重する」べきなのは大前提。
ところで「女児は全身の筋力が低下する脊髄(せきずい)性筋萎縮症を患い、人工呼吸器を手放せず、たん吸引などの医療的ケアが必要」であり、割と…というか相当の困難がある。「市の就学指導では「養護学校が適当」と判定された」とあるが、うん、そりゃあまあ、まずはそう言いたくなるでしょうよね、管理側としては。医療関係者の配置についても、この子の専属看護師を配置するより、同程度の困難の子たちを数人あつめて対応したほうが人件費的にありがたいだろうし。
しかし「その後、両親が小学校に看護師を配置するよう市長に直接要望するなど、市側と交渉を続けた結果、15年に同市で初めて看護師を配置した小学校に入学した」というのは、様々な可能性に開けた、これはこれで素晴らしい・大胆な・意欲的な取り組みである。
これに対して
「元委員は6月1日、小学校が地域に向けて開いたオープンスクールを訪問。教室で女児が看護師のケアを受けている様子に「大変やねえ。環境も整っている養護学校の方が合っているんじゃないの」と話した。母親が「本人がこの学校に行きたいと言っているので」と答えると、元委員は「本人はそうかもしれないけど周りが大変でしょう」と発言した」
という、『周囲が困るでしょうよねえ?!』という脅迫に通じる排除の言葉は明らかに不適というべきだろう。なにしろ冒頭にもあるように「周囲の児童が女児を通して思いやりの心を学んでいるとの説明」があり、まあ直接、周囲の児童の意見をヒアリングしたわけではないにせよ、周囲の児童には好ましい影響があるのだという説明があったわけである。それを単に無視するのは「現場軽視」といえよう。
非常に単純な話である。「保護者の意向を最大限尊重する」原則の下、できるだけ保護者(+当該児童)の意向は尊重する。しかしそれは、「絶対に実現せねばならない」という意味ではない。極めて単純な国語の問題である。
この児童の生活の質の限界はこの児童の病状の限界に従う。
したがって、この児童が普通のその辺の小学校に通学できる限界は病状の限界によって定められる。
コトが小学校である。
看護師がトイレだとか連絡とかで席を外した10分間に”ちょっとしたイタズラ”あるいはウッカリぶつかったことで人工呼吸器を外されてしまってもまあ問題なく生存できる程度なら、あるいはそれで痰がつまって死に掛けたりはしないとまず確言してよい程度なら、普通の小学校への通学もまあ可能ですよね、という話だろう。
だから、「周囲の児童が女児を通して思いやりの心を学んでいる」に対する”反論”は、「みんな優しいんやね」ではなく、「思いやりの心で医療行為はできないからね」である。
障害者だろうがなんだろうが、我々の社会を共に構成する一員であって、共に生きていくべきだというのは間違いない。しかし「思いやりの心」で指が生えてきたり、肝硬変がなおったり、失明した目が見えるようになったりはしない。これも単純に事実である(稀になんとかなるらしいが、発生次第、ローマ教皇庁に聖人認定申請がとどくくらいにはレアイベントである)。
まずは極めて、極めて単純に、この子の病状がなにをどこまで許すかに依存するのだ。
…あとまあ、看護師さんの職務の限界とかね。
なので、『周囲の人にご迷惑だと思わないのかね?』『いや、本当は迷惑だと思っているんじゃないかな?気付きなさいよ!』という忖度感情論は井戸端会議でやっててください、そういう自由はまあありますよね、ということじゃなかろうか。
…まあ、正直なところ、養護学校のほうが医療サービスの提供自体は安定的じゃないかなとは思う。少なくとも、トイレ休憩・食事休憩などの穴は少なそうだ。
だが、そうした健康上の(あるいは生命に関わる)リスクをおかしてでも、幼稚園時代以来の友達といるという生活の質を取ろうとしたわけであり、それはそれで見解である。そうした可能性が広がること自体は、我々総体の自由の拡大ではあり、その点では支持されるべきことのはずなのだ。
…まあ、そういう自由が利きやすい、大自治体様の住人様方は違いますな、というふうにも思うのだが(今の私はそうした大自治体様の住人様ではあるのだが、地元は”夢見るように活気の失せた”ような田舎なので…)。
産経新聞 人工呼吸器使う女児の母親に「養護学校の方が合っている」 兵庫・宝塚市教育委員が発言、差別認定 2018.8.31 11:33
産経新聞 宝塚市教育委員の後任に望月氏 著名漫画家の夫 差別発言辞任受け 2018.9.1 14:21
「兵庫県宝塚市は8月31日、「難病児は養護学校が合う」などの差別発言で辞職した市教育委員の男性(72)の後任に、コミックエッセー「ツレがうつになりまして。」などで知られる漫画家、細川貂々(てんてん)さんの夫で、漫画制作プロダクション「てんてん企画」社長の望月昭氏(54)=同市月見山=を充てる人事案を発表した」
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