UJA Post-doctoral training先の選び方 南嶋 洋司 2015/08/19
「苦楽を共にした優秀な友人たちは、研究者人生最大の財産の一つである」
「まともな業績を残したポスドクが独立して活躍していないようなラボは、ポスドクをディスポーザブル扱いするようなラボである可能性がある。ポスドクはP.I.の家をデカくするために働くのではない」
「貴重な時間と金と労力を費やすに値するような、その分野で評価の高いボスのラボに行くべし。科学的に少しでも疑問や違和感を感じたラボにはゆめゆめ行くことなかれ」
ご苦労された方のようである。含蓄深いお言葉である。
…この点、うちの用語で翻訳すると、「名誉の分け前がないところはダメ」だろうか:「自分のプロジェクトは、自分の後に来たインド人ポスドクが継続してくれて、某誌に掲載されたのだが、自分の名前はauthorから外されており」。
当方の発表会場に後輩が来たので、せっかくなので名前を言及しておいた感心な私である。優秀な人材として、偉いさんが聞いている発表のときに名前をいっておけば、まあマイナスではあるまい。
非常に多くのレベルで素っ頓狂な間違いが横行しているけれど、日本の文系知は率直に国際競争力が非常に弱く、むしろこれを強化し伸ばしてゆく方向を現在の日本は向いている。文系という枠組みそのものがしゃらくさく、ちょっとでも気が利いた専門人なら領域など横断して闊達に仕事している。その推進。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2015, 8月 12
うん。
だから私は本務校の一方の至宝とでも言おうか、奇妙な位置にいる。この伊東先生の言葉は、その点で私の実感に非常に沿う。いやまあど文系の私がいうのもなんだが。
あの種の人々は学内できちんと汗をかかないので人事を掌握するようなことはなくてですね(爆発音)
RT @oyaziMK2 大体、内田樹氏や山口二郎氏の周りにいる人達がどういう言動しているかを見れば、彼らが大学の人事を司ったら何をやるか位は想像できるかと思います。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2015, 7月 31
だから汗をかく私のほうが(以下略
なおこのニュースの注目点は「全財源の3分の2を占める交付金」「全経費の約80%を占める人件費」という部分です。競争的資金や独自財源が乏しいなか経費構造が硬直化している状態。
>愛教大経営協:6人、国の大学交付金増額求める声明 http://t.co/FLYN6yFyZa
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2015, 6月 30
毎日新聞 愛教大経営協:6人、国の大学交付金増額求める声明 /愛知 毎日新聞 2015年06月30日 地方版
「愛教大の全財源の3分の2を占める交付金は、04年度は47億864万円あったが、今年度は42億8736万円と4億2128万円減らされた。このため、全経費の約80%を占める人件費が、5億1438万円減の57億8501万円となり、教職員を24人減らして251人になったほか、研究費や物品費などあらゆる経費が削減された」
教育内容の水準維持、望ましくは高度化には、それなりの経費がかかる。そこでまずは教員の数を、そして研究費を維持または増加したいところ、おおもとの財布の具合も悪く、増額は非常に難しいというわけである。
「今までより安く、今までより高度な成果を!」と言われて、「出来るか、そんなもん」と我々としては言い続けているわけであるが、民間さんのうち、競争の激しい分野ではそれが日常であるかとも思われ、ならば我々も心がけだけでもそうあるべきかなあとグループ研究の声をひとつかけたあとにメモしてみる。
…私のほうの「もちだし」が大きくなるのは目に見えてますが。
この際、「なんで我々が」という思いはもちろん出てくる。前の世代の不始末の尻拭いという面はあるもののようで、当の責任ある者たちはどうなるんだ悠々自適の年金生活かよ俺らやってらんねぇやってやんねぇ、とふてくされる向きがでるものかと思われる。
が、それの大規模版がいまギリシャで起こってるんじゃないのかなーと思うと、…誰かが責任を取らねばならないのである…。
非常に無責任な言い方だけど、ギリシャ関係の英文記事を追うだけでも、とても面白いし、金融や通貨の問題を考える最良質の素材、金融論のすばらしい事例研究にもなる。そして、最終的には他山の石でないことが見えてきて、国際課題に対する関心が契機となって、自国社会に責任ある態度を導くと思う。
— 齊藤 誠 (@makotosaito0724) 2015, 6月 30
なのでBBCくらいだけでも見てみようという感じの私。ひとかけらも専門領域に関わらないはずなんですけどね。
「日本の新聞はダメ」という議員先生の言葉は、必ずしも間違っていないと思うが、「もっと海外メディアにじかに目を通そう」とでも付け加えれば、グローバル化を推進する議会として立派な見識となったのに…自分達が実践していない事、言えるはずないですね。邦紙の虜になっているのが実は議員だから…
— 齊藤 誠 (@makotosaito0724) 2015, 6月 30
学生に「朝日? 小論文のネタ、練習に? ああいやあまりよくない」といったところ、「何か含むところがあるようですね」とかにやりとされるなど。
中の人の能力の平均値的にはおそらく相当の水準にあるものと思われ、その点ではよいのだが、そのぶん、「だまし」にかかられると厄介だ、むしろその記事の効果は当の新聞が支持したいと思っている方向の逆側に作用することがある…むしろ英文記事を読んでしまえ、と教えておいた。
朝日新聞をほめるかけなすか、その一点だけでひとの価値観を推し量るのって、昔からあるっぽいけど。有効でない対象ってあるよねえとか。
「京大に必要なものは他のすべての大学にも必要」「東大でやる価値のあることは他のすべての大学でもやる価値がある」というのが戦後の大学教育のあり方で,その理念自体が否定されようとしているわけで。
— 渡邊芳之さん (@ynabe39) 2015, 6月 22
これが昨今の流れの決定的な要素であって。そしてそういう理念は、既に東北地方ではそもそも成り立たないものとなっているようであり。今後を見据えると、それなりに改革せざるを得ないだろうと思われる。
いやほら、戦後大学教育の理念だと、地方国公立学校の先生にも、”お前は必ず東大京大の先生と匹敵するような者であれ”と要求することになる(でないと、東大・京大と”同じこと”はできない・匹敵する水準のことはできない、ことになる)。
…予算の関係もあるし、無茶だよね、と。
……ワタシだって、帝大の講座の教授には確実に負ける、とほぼ確信するし。いやまあ「そりゃそうでしょう」とか言われたけど、年季が20年も違えばそりゃそうだろうけど、その「敵うはずがない」という無前提な思いがお前の壁だ、それを打ち砕け燃え上がれハート燃え尽きるほどヒートばーにんぐらーぶデースなそんな感じ。
文科省が文系学部を見直すよう通知したことについて、「役に立たない学問も必要だ」という反論を拝見するが、それを繰り返すだけでは説得力に欠けると思う。というわけで、3年前に書いたブログ記事をリンクしておこう。「役に立たない研究の効能」⇒ http://t.co/IvMmw91AH9
— 大栗博司 (@PlanckScale) 2015, 6月 18
うん。
だから僕はそうした。10年後、20年後…のために、いま僕にカネを出すべきだ、と語る。
研究費を頂いたことへのお礼の報告会という性質の会で、我々基礎学問は将来、未来の研究のための基盤を形成しつつあるのだという点も含めて―むしろ演説まで持っていったあたり、私はなんというか、伝統的だなと思うなど。
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