さくらももこが高校生の頃、小論文模試を受けたら採点者から「現代の清少納言」と絶賛され、それまでさほど褒められることのなかった彼女が自分に自信を持つ、というエピソードがある。彼女の才能に最初に気づいたその採点員こそが彼女の生みの親で、その才能に気づくことこそが教養だよなぁ。
— silver_romantic (@silver_romantic) 2018年8月27日
とあるとき。
「君は、なかなか、堂々たる字を書くねえ」と学生の答案を見て言ったら、かなり喜ばれた。家族みんな字が上手く、その学生はさほどでないので、えらく引け目を感じていたらしい。
いや、実際、コンクールで賞を取るという上手さではない、そうではなく、伸び伸びとしてひとに読みやすい字だ、と正直に私は褒めた。
いや思うに、ひとはひとを褒めなれてない。
たかが”読みやすい字を書くねえ”程度でえらく喜ばれるのは、まあ私としてはコスパがいいのでありがたいのだが、学生たちがあまりに褒められなれていないことが解るだけに不憫でもある。
採点権者の先生様のご機嫌を損ねないように、逆鱗にひっかからないように…と汲々として生きているのが目に見えるようだ。
といって、真に無闇に褒めても無価値どころか有害だろう。
正味に、正価で評価してやればいいだけだと思うのは、上のtweetの論点からは、教養ある者の暴虐になるのだろう。
ということはうちの同僚たちは(ry
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