東京都知事選は明日24日告示。
4年前の東京都知事選告示日、私は知事選に出る浅野史郎さんの事務所に居た。
浅野さんは、自ら届出して、都庁前で第一声という日程を組んでいる。
届出に時間がかかるのか、都知事選は候補者が多いからなのか、時間が過ぎた。
あふれるばかりの人と報道陣、上空にはヘリが6機ほど、旋回している。
みんな第一声の取材のため。
さすが、日本の首都の大規模な選挙、単一の選挙としては「日本最大」だと感心した。
今年の都知事選。
候補者が揺れていた。
現職の引退か続投かも不確定。
石原氏から後継の約束を得ての現職の神奈川県知事松沢氏の立候補表明。
とはいえ、後日の石原氏の翻意で、立候補表明を撤回する失態に。
前宮崎県知事の東国原英夫氏は、断念したものの、支持者から「ここでやめたら逃げたと思われる・・」と薦められてか、昨日、立候補表明。
これでおおむねの候補者が出揃ったようだ。
今日は、昨日の前宮崎県知事の東国原英夫氏の表明を中心に、各予定候補の様子、そして松沢氏の擁立・断念のウラのシナリオなども記録しておく。
もちろん、誰にも、最大の狂ったシナリオは震災と原発事故だろう。
そのことへの対応姿勢の問題と、なにより知事選の報道が激減するからだ。
大きな選挙ほど、報道の影響はきわめて大きい。
なお、減税日本は、東京でも、三重でも知事選に候補を出せないことになった。
三重では「県民税10%減税を公約とすることに合意を得られず、擁立に至らなかった」という。
(関連) 2011年3月15日ブログ⇒ ◆都知事選/引退表明の石原氏が「立候補」/後継指名の松沢神奈川県知事は「辞退」/東国原氏は「断念」
2月23日ブログ⇒ ◆石原知事不出馬、大混戦の都知事選/後継は「神奈川県の松沢知事」とも/混乱は続く
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●前の宮崎県知事の東国原英夫氏が、24日に告示される東京都知事選挙への出馬を表明しました。
テレビ朝日 (03/22 18:16)
東国原英夫氏:「大都市の活力が国の命運を左右する時期ではないかと思いました。30年お世話になった東京に何かできないか、ご奉公できないか。ここで汗を流させて頂く、そういった決意に至った」
東国原氏は「首都圏が元気にならないと、この国にまん延している閉塞(へいそく)感は打破できない」と訴え、災害に強い街づくりと東京からの地方分権の推進を政策の柱に選挙戦を戦う考えを述べました。都知事選には、4期目を目指す現職の石原慎太郎都知事のほか、共産党の前の参議院議員・小池晃氏、外食大手「ワタミ」の創業者・渡辺美樹氏、発明家のドクター・中松氏らが出馬を表明しています。
●東国原氏「関東広域連合」設立などに意欲
日テレ 2011年3月22日 23:58
東国原英夫前宮崎県知事(53)が22日夕方、東京都庁で会見し、来月10日に投開票される東京都知事選挙への立候補を正式に表明した。東国原氏は、首都圏の自治体による「関東広域連合」の設立や災害に強い都市作り、景気対策に重点的に取り組みたいとしている。
都知事選にはこれまでに、現職・石原慎太郎知事(78)、外食大手「ワタミ」前会長・渡辺美樹氏(51)、共産党推薦の小池晃前参議院議員(50)、山口節生氏(61)、ドクター・中松氏(82)、雄上統氏(69)、中村克氏(55)、古川圭吾氏(41)、杉田健氏(43)、谷山雄二朗氏(38)が立候補を表明している。
都知事選は24日に告示され、来月10日に投開票が行われる。
●首都から地方分権を実現=都知事選出馬を正式表明-東国原氏【統一選】
時事 2011/03/22-19:52
前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)は22日、東京都庁で記者会見し、「首都圏が元気にならないと、日本全体にまん延している閉塞(へいそく)感を打破できない」と述べ、4月10日投開票の都知事選に無所属で出馬する意向を正式表明した。その上で「国と地方の役割を明確にし、地方の責任で自治体を運営する必要がある」として、地方分権の実現を目指す考えを強調した。東国原氏の出馬表明で、都知事選の主要候補が出そろった。
東国原氏は、4選出馬を表明した石原慎太郎知事(78)について「多選はよくない」と指摘。政党からの支援については「応援したいと言うのであれば、どんな政党でも連携を検討する」と述べた。
東国原氏は1月の知事退任後、都知事選と国政進出を両にらみで検討。出馬表明が告示2日前になったことには「10日ごろに出処進退を決めないといけないと思っていたが、東日本大震災が発生し、その時期の発表は不適切だと判断した」と説明した。
都知事選では、石原知事のほか、共産党前参院議員の小池晃氏(50)、外食チェーン「ワタミ」前会長の渡辺美樹氏(51)らがこれまでに出馬を表明している。
●東国原氏も立候補表明 都知事選、民主は「不戦敗」
時事 2011/3/22 19:21
前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)が東京都知事選への立候補を表明した。多くのメディアから不出馬とみられていた石原慎太郎・都知事(78)が一転立候補を表明し、直後に東北関東大震災が発生したこともあり、今回は立候補を見送るのでは、との見方も出ていた。東国原氏は会見で「首都圏が元気になって日本の元気を首都圏から発信する」と話した。
2011年3月22日、東国原氏は都庁で出馬会見を開いた。都知事選の告示は24日で、直前の表明となった。東国原氏は「大都市の活力が国の命運を左右する時期ではないか」と意欲を語った。
一時は立候補見送り説も
東国原氏をめぐっては当初、3月14日にも出馬会見を開く、と報じられていた。真偽のほどは確かではないが、東国原氏について、依然高い支持を保っているとされる石原氏が立候補するのかしないのかを見極めた上で態度を決めようという「様子見組」のひとりだと評する向きもあった。3月上旬の段階では多くのマスコミが「石原氏不出馬」と報じていた。
しかし、3月11日、石原氏は一転して立候補を表明した。その数十分後に東北関東大震災が発生した。震災直後とあって、東国原氏は14日の会見は見送っていた。
石原氏の立候補表明などを受け、東国原氏は立候補見送りに傾いたとみられていたが、「ここで立候補しないと逃げたと思われる」という支援者らの声に押された、との指摘もある。
●東国原氏 都知事選出馬へ 理解と疑問の声交錯
=2011/03/23付 西日本新聞朝刊= 2011年3月23日 01:07
前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)は22日、4月の東京都知事選に立候補することを表明した。1期限りの退任に一時は批判も受け、退任後の進路もぎりぎりまで明確にしなかった東国原氏。ようやく示された決断に、県民からは理解と疑問の声が交錯した。
東国原氏の地元・都城市で飲食店を経営する男性(35)は「地方分権は東京が“本丸”かもしれない。宮崎で発揮した手腕を中央でも存分に生かしてほしい」と応援した。
家畜伝染病・口蹄疫(こうていえき)で飼育牛が殺処分となった川南町の酪農家男性(29)は「口蹄疫の対応では批判された面もあるが、誰が知事でも被害は大きかったと思う。宮崎の知事選でも本命ではなかった。都知事選は、出るからには勝ってほしい」とエールを送った。
「石原都知事の動向などを見ての日和見出馬。出るなら、もっと早く表明すべきだった」と批判するのは、日南市の町おこしグループ代表の男性(51)。「宮崎での働きは認めるが、今回の行動に信念は感じられない」と突き放した。
東国原氏の「後継」として昨年12月の県知事選で初当選した河野俊嗣知事は「地方を元気にしたい、日本を変えたいという志で(宮崎県知事を)1期限りで退任された。都知事選にどういう思いで立候補して、そこで何をしたいのかというところに大変興味がある」と話した。
●都知事選 渡辺美樹氏がマニフェストを発表
Tokyo MX 2011年3月22日
都知事選への出馬を表明しているワタミ前会長の渡辺美樹氏はきょう都庁で会見を開き、マニフェストを発表しました。
渡辺氏は会見で「私自身の強さとしてはやはり経営です。経営とはリーダーシップとマネジメントです。リーダーシップをしっかりとって(都職員の)17万人にその気になっていただく。
マネジメントを使い、売り上げを最大にして、経費を最小にして、利益を生み出し、その利益を最大限都民の幸せのために使っていく」と話し、「一番やりたいこと」として特区制度を使った法人税の優遇措置の検討を挙げ、「海外の企業が東京にアジア本社を置きたくなるようにする」と述べました。
また、築地市場の移転については「大震災の影響を含め安全に関わる情報を精査し、期限を区切って決断する」とし、新銀行東京については「早期の売却は都民の利益に反するが、将来は都離れの方向を考える」と話しました。
政党からの支援については「現時点で接触は一切ないが、マニフェストを応援してもらえる政党があれば受けたい」としています。
●民主党本部、都知事選で特定候補推薦せず
(2011年3月22日21時42分 読売新聞)
民主党は22日の常任幹事会で、東京都知事選(24日告示、4月10日投開票)では、候補者の推薦をしない方針を正式に決めた。
岡田幹事長は22日の記者会見で、「民主党本部の推薦を求める候補者がいないので、方向性を出すことはない。党都連も基本的には方向性を明確にしない方針と聞いている」と語った。
●ドクター・中松氏「東京を"防災都市"に」 都知事選への抱負語る
NCN(ニコニコニュース) NCN 3月22日(火)19時33分配信
東京都知事選へ出馬を表明している発明家のドクター・中松氏(82)=本名・中松義郎=は2011年3月22日、フリーランス・雑誌・ネットメディアの有志によって結成された自由報道協会(仮)主催の記者会見に出席し、都知事選に向けた抱負について語った。中松氏は今回の都知事選の争点は「防災」であるとして、「都知事は都民をいかに守るかということに尽きる。都知事になったらただちに東京を(防災都市に)作り変える」と、東京都の防災対策に強い意欲を見せた。
阪神・淡路大震災や東日本大震災を科学的に予知してきたという中松氏は、震源が南下しており、時期都知事の任期中に大地震が起きる可能性があるとして強い危機感を示し、「東京に大きな地震が発生したときに、本当に対応できる都知事が必要」と発言。「地震に対しては急速にして正確な判断力が必要。専門家に聞いていては間に合わない。都知事が先頭に立って指揮するべき」と、次期東京都知事が防災に精通していることの重要性を強調した。その上で「都知事は都民をいかに守るかというとこに尽きる。都知事になったらただちに東京を(防災都市に)作り変える」と、東京都の防災対策に強い意欲を示した。
また、財政政策については「先進国中で最低の税金にしたい。そうすれば先進国から投資もあるし、観光客も誘致できGDPがアップする」と減税の必要性を主張。さらに、築地市場の移転予定地である豊洲で有害物質の汚染が指摘されていることについて質問されると、「今のようにダーティーな土地に移転するということはもってのほかで、移転するべきでない」と、豊洲への移転に反対した。
なお、ドクター・中松氏は今回立候補すれば、5度目の都知事選出馬となる。
●東京都知事選:主要候補出そろう 被災地支援も争点に
毎日 2011年3月22日 19時18分
24日に告示される東京都知事選は、主要候補の顔ぶれがようやく固まった。東日本大震災の避難者の受け入れや計画停電で、都内も大きな影響を受ける中での選挙戦となり、被災地支援のあり方も争点に急浮上した。
石原慎太郎知事(78)は22日の記者会見で都内の避難者について「(ずっと)体育館の床に寝かせておくわけにはいかない。2所帯一緒でも、窮屈でも、冷暖房のある住宅にきちっと収容することが大事」と話した。国には「地方だけに任さず、使っていない宿泊施設付きの研修所をどんどん開放したらいい」と注文した。
共産党前参院議員の小池晃氏(50)は、自治体単位の受け入れを主張する。「首都にふさわしい受け入れ態勢ではない。私の調べでは提供できる都営住宅だけでも約1万戸ぐらいある。被災者が移住するにしても東京は来やすいのでは。この町とこの町の復興は東京が責任を持つぐらいのことをやらなければならない」と話す。
居酒屋チェーン、ワタミ創業者の渡辺美樹氏(51)は、被災者の受け入れには「具体的にどういう受け入れ施設があるのか把握する必要はあるが、1万人では少ない。首都の責任として10万人ぐらいは受け入れたい」と話す。「最悪のリスクを想定しながらシミュレーションを繰り返すことで被害を最小限にしたい」と強調する。
前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)は22日の出馬会見で、被災地支援策として、インフラ整備のための技術支援や、関東が農産物を引き受けることによる風評被害の払しょく、地方にはない警察や消防の特殊車両の派遣などを挙げた。
発明家のドクター・中松氏(82)は「地震や津波、汚染に強いインフラを構築したい」と主張する。
■ ■
都は仙台市内に職員4人を常駐させ、連絡要員とした。被災者、避難者は東京国際フォーラム(千代田区)など4施設で約5600人まで受け入れる。都内の38区市町村63施設も合わせると受け入れ規模は1万人超となる。都営住宅なども2000戸確保し、うち600戸は23日から受け付ける。都立高校と都立特別支援学校への転学希望は計約2万人まで受け入れる。17日には人工透析患者410人のために都内の避難先を確保した。
●「都知事後継」 狂ったシナリオ
(2011年3月20日 読売新聞)
松沢氏、混迷の2週間
松沢知事が3月1日に突然、東京都知事選出馬を表明してから、14日の撤退表明まで、わずか2週間。神奈川県知事選への3選出馬をなげうって、固めたはずの重い決意はなぜ、もろくも崩れたのか。不可解な2週間の真相を、関係者の証言をもとに再現した。(加藤淳)
「東京都政をやってもらいたい」
2月中旬、松沢は、東京都知事・石原慎太郎から出馬を打診された。知事会などで頻繁に顔を合わせる石原には1年ほど前から、「誰かいいやつはいないか? 俺のあと、どうだ?」と、冗談交じりに声を掛けられていた。
松沢は当時、県知事選への3選出馬を軸に、国政復帰についても検討していた。都知事選については、複数の著名人の出馬が取りざたされていたこともあって、ためらいもあったが、「首都圏連合をさらに推し進めることができる」と考え、「後継指名」を受け入れることにした。
その後、石原側と綿密に連絡を取りながらひそかに準備に入った。
選挙事務所は、石原が東京・南青山に仮押さえしていた物件を譲り受けた。首都圏連合をともに進めてきた埼玉・上田清司、千葉・森田健作両知事もまじえ、2月下旬に4者で会談した。4人で握手を交わした場面は1枚の写真に収められているという。
2月22日の自民党都連パーティーで、石原が不出馬を表明し、松沢はその日から後継候補として活動を始める段取りだった。この動きが一部で報道され、石原は表明を取りやめたが、方針は変わらず、3月1日の都知事選への出馬表明も、石原の了解を得たうえでのことだった。
ところがこの頃から、シナリオが狂い始める。
石原に近い自民党幹部は、石原に4選出馬するよう説得を強めていた。松沢に対しては、横浜経済界の大物や首相経験のある大物政治家が出馬撤回を働きかけた。
都議会最終日前日の10日夜。松沢は石原から呼び出しを受ける。東京・平河町の中華料理店で夕食をとってから、近くのホテルに移動し、約束の午後8時半より少し遅れて指定された部屋をノックした。
中には、石原と自民党幹部、首相経験者の姿があった。自民党幹部から出馬断念を求められ、松沢は石原に「この期に及んでの変心は政治家としての信義にもとる」と激しく抗議した。
議論は1時間半に及んだ。「朝までかかっても(石原氏に出馬を)説得する」と話す自民党幹部らを残し、松沢は部屋を出た。ロビーで待っていた秘書が慌てて車を取りに行くのも待たず、自ら駐車場まで歩き、ぶぜんとした表情で後部座席に乗り込んだ。
翌11日午後0時半ごろ、県庁の松沢に石原から電話が入った。
「すまない」――。
午後2時過ぎ、石原の4選出馬表明を都議会のテレビ中継で見届けた松沢は、同日夕の記者会見で、前夜に「君が出るなら僕は出られない」と言う石原と握手を交わして別れたことを暴露し、全面対決を宣言するつもりだった。そのほんの数十分後、未曽有の揺れが東日本を襲い、記者会見は中止になった。
県災害対策本部で地震対応に追われ、このまま行けば告示後の選挙運動さえままならないのは明らかだった。そもそも都知事選出馬は、石原の勇退と全面支援が大前提だった。
そこで浮上したのが、松沢の主要施策を石原が取り入れることを条件に、松沢が出馬を取りやめる「政策協定案」だった。埼玉県知事の上田が奔走し、石原もこれを受け入れた。13日夕、3知事は都内のホテルで会談し、松沢は石原と握手を交わした。「苦渋の決断」だった。
翌日、3知事が顔をそろえた東京都庁での記者会見。1日の都知事選出馬表明の際、松沢が「石原氏が出るなら戦うことになる」と説明したことに質問が及ぶと、すかさず石原が割って入った。「私が持ちかけ、結果が皮肉なことになった。松沢さんはそう言わざるを得なかった。理解してやってください」(敬称略)
●河村氏の減税日本、東京・三重知事選で擁立断念
(2011年3月22日03時32分 読売新聞)
河村たかし名古屋市長が代表を務め、東京都、三重県の両知事選(いずれも24日告示)の立候補者の人選を進めていた地域政党「減税日本」は21日、両知事選での候補擁立を断念したことを明らかにした。
同党幹部によると、都知事選は石原慎太郎知事の出馬表明や選挙戦の態勢が整わないことから断念。三重県知事選については、立候補予定者と政策面で折り合いが付かなかったという。
●減税日本:都知事選、三重県知事選に擁立断念
毎日新聞 2011年3月22日
名古屋市の河村たかし市長は22日、自身が代表を務める地域政党「減税日本」からの東京都知事選と三重県知事選(24日告示、4月10日投開票)の候補者擁立が事実上頓挫したと明らかにした。
減税日本は、それぞれ具体的な人選を行ってアプローチを続けてきたが、都知事選では、石原慎太郎知事が出馬を表明したことで戦況が整わないと判断。三重県知事選では、県民税10%減税を公約とすることに合意を得られず、擁立に至らなかったという。河村市長は「引き続き、もしあれば(擁立したい)ということに変わりはない」と話した。【高橋恵子】
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