車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

三隅(みすみ)神社 in 島根県浜田市三隅町

2018年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

浜田市三隅町三隅に鎮座される「三隅神社」。御祭神は『三隅兼連(みすみかねつら)』。『御神本国兼(みかもとくにかね)』を祖とする南朝の忠臣で、益田氏の祖とされる人物。

神社の創建は新しく「昭和3年に神社創建の議が出願され、昭和12年に造営。 御祭神である三隅兼連は、南北朝の争乱の際に新田義貞、名和長年らに呼応して足利氏と戦い、京都の山城国(笠置山の戦い)で討ち死。明治以降になって忠臣と称えられ、当時の町長の奔走もありこの地に祀られる事になりました。」境内由緒より

参道左右より神域を守護されるのは、来待石製の狛犬としては島根県内でも最大級の大きさと言われる出雲丹後系の構え狛犬さん一対。「昭和十年十月建立」「松江市和多見 石工:渡部 卯助」の刻。

この大きさです。

鎮守の杜を背に拝殿

「摂社・高城稲成神社」

「摂社:照国社」。御祭神は『三隅町の御英霊』

小さな稲荷社

有形文化財:三隅の郷土史家『木村晩翠(ばんすい)』の詩碑。【一代の人生は迷いの夢であり、天然、自然は真実の現れである。しかし人間の本性は真実だからこの二つの道は遠くない。一代の働き次第で凡人も神仏一如となる。人生永遠の幸福は人間の尊さを味わう事である。】

【三隅城落城の時、家人と共に脱出させた愛児・梅千代が逃がれる際に隠れたと云う谷川の石橋で、無事に敵の目から逃げおおせた事から、以後、人はこの石を「厄よけ石」として崇めるようになった。こうして難を逃れた『梅千代』は、やがて大成して、尊勝寺中興の祖『良海法印』と仰がれている。】

大麻山:尊勝寺は廃仏毀釈の時代に倒壊して現存せず、現在は敷地に庭園が設けられています。紅葉に染まったその姿はただひたすらに美しく、人々の憩いの場所となって存在しています。

厄除け石と神庫

「厄よけ石」の近くに奉納されていた「御神馬」。ともすれば周りの景色に溶け込んでしまいそうな。

三隅神社再建に奔走した三隅町長『寺戸光次氏』胸像

三隅神社の境内に隣接して作られたツツジの名所。

「人まちいし」に刻まれた句 【千人の 心千本 梅の丘】谷水

【一期かな 彼岸桜に 一会かな】 杞陽

「忠魂碑」尊い命の贖いによってもたらされた平和に、ただ感謝します。

参拝日:2012年11月9日&2019年4月19日

 


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